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闘病記(33)バナナ は どうする ? ふりかけ は ?

 お年を召した多くの方々が、車椅子に乗り壁際に1列に整列をしている様は壮観だ。キラリと光る車いすの金属部分と、虚空を見つめるかのような(実は眠いだけかもしれないが) 視線が相まって、実に厳しい人生を乗り越えてきた人々の集まりのようなオーラを放っている。
 そんな人たちの中でまだ若造の自分は、聞こえるか聞こえないか位の声で
「おはようございまーす。」と挨拶をしながら、列の末尾に並ぶ。こうして毎日7:45分からの朝食を待っているのだ。
「いいですよー。どうぞー。」
と、声がかかると、各人それぞれ看護師さんや介護師さんに車椅子を押してもらったり、自分で動かしたりして座席へと向かう。さっきまでオーラを放っていたように見えた人たちは、普通のおじいちゃんとおばあちゃんに戻って時折笑顔を見せながら朝食を楽しむ。
 看護師さんや介護師さんは、7時40分位から最後の点検に入る。右手が不自由で左手に箸を持つ人の食器の並べ方は合っているか、指定されたメニューが全て揃っているか、ヨーグルトなど、容器に蓋が付いているものは患者の回復具合に合わせて食べやすい状態になっているか。多くの点検項目を、素早く.正確にチェックをしていく様子はプロそのものだった
 自分が、看護師さんや介護師さんから時折問いかけられたのがこの点検の時間帯だった。
「赤松さん、バナナどうする? ふりかけはどうしとこうかね? 」
一瞬、何のことかわからなかったがすぐにピンときた。「バナナの皮は剥いておいたほうがいい? 」「ふりかけの切り口は、切っておいたほうがいい? 」と言うことだった。確かに右手が不自由なものにとっては、両方とも難しい。至難の業だ。バナナの皮をむくには、片手でバナナ本体を持って、もう一方の手で皮をゆっくり剥いていかねばならない。ふりかけは、切り口の下の本体を強く保持し、もう片方の手で切り口から上をまっすぐに破らねばならない。自分は最初どちらも無理だと思った。
「バナナの皮は剥いておいてください。ふりかけのほうもお願いします。」
はじめの頃はそう答えていた。自分の右手は何かをしようとすると大きく震えてしまっていたし、とてもできるとは思えなかったからだ。だが、ある時考えた。
「一生、誰かにバナナの皮をむいてもらうのかな。右手が無理なら、口や歯を使ってでも自分で剥いて食べたほうがいいんじゃないか? そうするべきなんじゃないか? 薬はどうだろう? 今はすべての薬を1つの容器にまとめてもらって飲んでいる。でも退院したら薬の袋から出して飲まないといけない。その時袋を開けてくれる人はいない。チャンスがあるならいつでも練習をしておかないといけないんじゃないか。」そう思った。入院時に、「100%の回復を目指す。」といった自分から離れつつあることに、危機感と嫌悪感を抱いていたのかもしれない。
「両方自分でやっています。」
ある朝の問いかけにそう答えると、
「やってみる? もし、難しかったらお手伝いするね!」
と言う心強い答えが返ってきた。
「だめだったら、やってあげるね。」
とは決して言わない。あくまでも患者が主体であり、そのプライドや尊厳はしっかりと守り抜くと言う姿勢はどのスタッフにも徹底していて、言葉遣いひとつにもそれが表れていた。
 左手でバナナを持って、震える右手で皮をむいてみた。案の定右手のコントロールがうまくできず、バナナの実の方まで手が進んでしまい皮と実をそぐような形でどうにかこうにか皮を剥くことができた。食べるところが少なくなった不格好なバナナだったが、やはり自分で皮をむいた方がおいしかった。
 ふりかけは切り口さえ切れてしまえば後はスムーズに破ることができたので思うほど難しいものではなかった。「いろいろとうまくいかないことを考える前にやってみるもんだなぁ。」そう思った。
 食べ終わった後、点検中に声をかけてくれた人と目があった。「何かまずかったかな?」と思い首をかしげて合図を送ると、
「ううん。何でもないよ。頑張ってるなぁと思って。」
と、にっこり笑ってくれた。
 これから先、自分が何かを食べる時、例えば皮を剥いたりする時、うまく封を切れなかったりする時、それをクスクスと笑う人もいるかもしれない。いや、きっといるだろう。でも、「がんばっていなあ。」と思って見てくれる人もきっといる。
 
だから、震える手がもし一生治らなくても堂々と生きていくのだ。
 

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