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闘病記(59) 出血。

 「赤松さん、昨夜どこかに頭ぶつけた?それとも、痒くて頭を掻き毟ったかな?」
介護福祉士の女性が心配そうに聞いた。ベッドで寝ぼけていた意識が急にしゃんとした。
「どちらも記憶にないなぁ。頭をぶつけてもいないし、特に頭が痒かったと言う記憶もないよ。」
そう言いながら上体を起こそうとすると、
「だめだめ、頭を強く打っている可能性もあるから動かないで。」
と言われ、元の体勢に戻された。「まずいことになった。これが脳幹からの再びの出血のトリガーになったらどうしよう。」自分は最悪の状況を考えた。そして、彼女がナースコールのボタンを押すと看護師の女性がやってきた。自分の枕元周辺を丹念に調べて
「確かに出血してるみたい。結構たくさん出てるなぁ…。赤松さん、本当に頭を打ったり、掻き毟ったりした覚えはない?」
と尋ねてきた。全く覚えのない自分は、
「いやー、どっちもないですね。そもそも、ここで頭を打ったとしてもそこまでの血は出ないと思うし、目が覚めると思いますよ。それに、もし頭を掻き毟っていたとしたら、爪の間に血とかが付いているだろうし・・・」
 「それもそうよね。ちょっと頭の後ろを触らせてね・・・。血液が固まったのかなあ…。」
 と、丁寧に調べていた看護師の女性が
「ん?おや?」
と言うと、急に枕とその周辺の匂いをかぎ始めた。まさか匂いで出血の場所を推測することができるのか!? と驚いていると、看護師の女性から意外な言葉が発せられた。
「赤松さん、昨日の夜チョコレート食べた?」
「食べました。あ、でもたくさんは食べてないよ。ピーナツチョコを2粒か3粒位かな。」
「これね、血じゃないよ。チョコよ。チョコ。」呆れたような顔をして、看護師さんが自分を見おろした。(安堵した顔だったのかもしれない。)看護師さんの説明はさらに続いた。
「昨夜、寝たままチョコを食べたでしょう。それが口からこぼれたのよ。そして、朝が来るまでの間に、頭の後ろや枕の下で溶けていって、血のように見えてしまったと言うわけね。」
 自分は半信半疑で匂いを嗅いでみた。なんと、本当にチョコの匂いがした。
「おお!本当にチョコだ!」
驚きと感心が混ざった気持ちで、看護師さんの方を見た。すると、
「感心してる場合じゃないでしょう。あのね…。」
の後に、回復期病棟では、食事もリハビリの一環でありしっかりと管理をしており、間食は禁止であること。また、外部から何かを持ち込んで、自室で保管しており、腐ったりしてしまった場合、感染症として病気が患者の間に流行してしまう可能性だってあると言う事などを優しく、厳しく諭された。さすがに反省した。
 この「ピーチョコ流血事件」以来、自分は間食を楽しむことをきっぱりとやめ、リハビリテーションに専念した、と言いたいところだがそういうわけでもなかった。父親が、差し入れを欠かさなかったのだ。「単調な入院生活には変化が必要。そしてその変化は間食で。」というのが彼の考え方で、甘いものから、ときにはアジフライ、イカ焼きなどなど、確かに(かなり)変化に富んだものを差し入れてくれた。それも、食事後、看護師さんも、介護福祉士さんも、忙しくて、病室を見に来ることがない絶妙なタイミングで。自分がうれしそうに食べるところを父はニコニコと見守っていた。(入院するまで、父がこれほどに捌けている人だとは思わなかった。)
 こうして、「単調な中にも変化がある入院生活」は無事退院まで続いた。運が良いことに誰にも迷惑をかけずに済んだ。
 というわけでこのテキストを締めくくるにあたり、二言だけ言わせていただきたい。

「病棟スタッフの皆さん、ごめんなさい。間食を完食していました。」

「読者の皆さん、朝、枕に血痕がついているのに、傷口がなく、特に覚えもない場合は、匂いを嗅いでみましょう。それはチョコレートかもしれない。」

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