闘病記(43) オネショマン
前回投稿したテキスト「採尿パーティー」のnoteに40を超える「スキ」を頂戴し、フォローをしてくれる人も増えた。とってもうれしい。皆さんの応援を無駄にすることなく、これからも丁寧に書いていこうと思う。
さて、自分はようやくバルーンを取り外せたわけだが、何より驚いたのは病院内の人々が大変に喜んでくれたことだった。あんなに喜ばれるとは思わなかった。バルーンが取れた翌朝、車椅子を押してもらってリハビリに向かっているとすれ違う病院のスタッフの皆さん、療法士の皆さんから
「バルーン取れたんですね!よかったですね!」
と声をかけてもらった。作業療法士のNさんは、
「ついに、取れたんですね。喜ばしい。実に喜ばしい。」
と、昔の小説か映画の登場人物みたいな言葉で祝福をくれた。その落ち着いた感じがとてもNさんらしくて、こちらまで笑顔になってしまったことをよく覚えている。
理学療法の時間は、劇的に変わった。(と言うよりも、ようやく理学療法らしくなった。)ようやく自由に、ダイナミックに体を動かすことができるようになった。バルーンが取れるまで、自分の行動半径は尿をためておく袋から約1メートル以内に限られていた。今になって考えれば、そのような状況で1時間と言う決して短くない時間の間、退屈する事がないように運動のプログラムを考えてくれていた理学療法士Tさんは本当に大変だっただろうと思う。
その理学療士Tさんは、まるで解き放たれた獣のように(笑)、次から次へと運動のメニューを繰り出してきた。四つばいになってマットの上をできるだけ早く移動したり、膝立ちのままで姿勢を保って目的の場所まで移動するなど、かなりハードなメニューをこなした。
これらの運動は文字にすると簡単だが、体の半分の感覚が麻痺した状態で行うとかなりの恐怖だった。右手と右足がマットに接地している事は、目で見て事実としては分かるが、感触を感じることができないのだ。最初は、そこらじゅう転がり回りながらの練習となった。理学療法の時間が嫌いになってしまうのではないかと思うほど練習はハードだったが、いつもの「上手。上手。」と言う声かけに、まんまと引っかかってしまう日々だった。
良い変化、前向きな変化の多い日々ではあった。だが、変わって欲しいけれどまだ無理なこともあった。「おむつ着用」だ。
入院以来、ずっとオムツを着用してきた。バルーンが取れるにあたってオムツとはおさらばするものと思っていたが、考えが甘かったようだ。
「オムツのゴワゴワした感じはもうたくさんだ。股間にもっと自由を!もうバルーンだって取れているのになぜ、まだオムツなんだ?」心の中の叫びは大きくなり、パンツへの憧れはどんどん強くなっていった。
そんなある日、「なぜオムツを着用しなければならないか?」という問いに対する答えを身をもって知ることとなった。なんと、自分は毎晩のようにおねしょをするようになってしまったのだ。それも大量に。「しっかり吸収するから大丈夫。」と謳われているはずのオムツが全然大丈夫じゃないほどに。オネショマンの誕生である。
ということで、オネショマンの活躍(?)についてはまた次回以降で。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?