闘病記(36) 回復期病棟のお風呂事情
「お風呂は1日おきで、機械浴になります。」
「はい。」
リハビリ病院に転院したとき、パンフレットかプリントのような物の1行を指差しながら声に出して説明をしてもらった。「はい。」とスムーズに答えはしたものの、
「機械浴って何?」
初めて耳にする言葉だった。
「機械浴ってどんなお風呂なんですか?」
と、質問できるような、親しい知り合いはまだ病室にいなかったし、自分でイメージしてみるしかなかった。「機械浴…。機械浴…。機械浴…。」脳内に響き渡る「ウイーン、ズシュ。バンバン。グワシ、グワシ、グワシ。ザバーン。ゴシュ、ゴシュ。シュルルルルル。」みたいな音がなかなか止まらないので、音に合わせて映像をつけてみた。まず部屋に入ると何本かの機械のアームがキラキラしながら自分のほうに伸びてきて衣服を脱がされ、素っ裸になる。次に、ベルトコンベヤー状の床が動き始め浴室へと運ばれる。そしてまた何本かのキラキラと光るアームが自分の方へと伸びてきて、体をあっという間に隅々まで洗ってくれる。そして、これまたアームがかけ湯を浴びさせてくれる。すると今度は、床がカパっと開いて自分はそこから滑り落ちる感じで、広めの浴槽へとダイブ。温まったら滑り落ちてきたダクトから引き上げられ、タオルで体を拭いてもらい、髪を乾かしてもらって(これらも全てピカピカに光るアームがやってくれる)どこからともなく「お疲れ様でした。本日の入浴は終了です。」と言う声が聞こえてくる。これが、妄想過剰な自分のイメージする「機械浴」だった。
そして入浴当日。少々ドキドキしながらベッドの上で待っていると、女性の方が自分を呼びに来てくれた。
「赤松さーん、お風呂行こ〜。ありゃ。お着替えの準備まだやね。」
の声に、かなり拍子抜けしつつ、
「すいません。まだ何も準備できてなくて。」
「いいよ。いいよ。無理して怪我をしてもいかんしね。」
と言いながら、あっという間に自分の着替えを一揃え準備してくれた。車椅子に乗せてもらい浴室へと向かった。いよいよだ。機械浴である。
「いらっしゃ〜い。」
と、男女3名ほどのスタッフの方が迎え入れてくれる。そこから入浴までに自分の身に起こった事は、例えるならば車のレースのピットイン。素早くタイヤを変え、燃料を入れ、ボディーをチェックしてあっという間に車を送り出す。自分はまるでその車のようだった。上着を脱ぎたくても動かない右手が引っかかってもぞもぞしていると、うまく手伝ってくれて、するりと上着が脱げた。そうこうしている間に、車椅子に乗ったまま靴と靴下を脱がせてもらいあっという間に裸足になった。
「前の手すりを持って少しの間しっかり立ってね。それじゃ行くよー。せーの。」
と言う言葉に合わせて立つと、ズボンと下着をおろしてくれて素っ裸になった。その間に、素早く車椅子が入浴用の椅子(浴室に入りお湯を浴びたり、浴槽に入っても大丈夫な作りになっている)に入れ替えられ、
「じゃぁゆっくり座ってね。ちょっと冷たいよー。」
の言葉とともに手を添えて、座るまでしっかり誘導してくれる。そして入浴用の椅子に座ったら車椅子を押すのと同じように背中を押してもらい浴室へと入る。中は驚くほど広々としており、入浴用の椅子に座ったままで楽々と方向転換ができてしまう。
「それじゃあいってらっしゃーい。」
と、浴室内のスタッフに引き継がれると、浴室内にいた別の方が髪や身体を丁寧に洗ってくれる。「さすがは病院。」と思ったのは、身体や髪を洗っている間にちょっとした傷や赤みを見つけると、浴室の外にいるスタッフに素早く報告してくれ、看護師さんに頼んで浴室から出るまでに薬を準備しておいてくれることだった。浴室から出て着替えをする際に、引き継いでくれたスタッフの方が薬を患部に塗ってくれた。
さらに驚くべきことは、誰もが忙しく手を動かし続ける傍ら、自分が少しでもリラックスできるように、楽しい入浴になるようにと声をかけることをやめなかったことだ。
話は浴室内へと戻る。自分が「すごいなぁ。機械浴どころか人の力に支えられていることを実感するなぁ。」と思っていると
「それじゃあ動くよ〜。」
の声とともに、椅子がバックして大きく右へと舵を切った。さらにぐるりと回り込むとそこには1人乗りのジェットコースターを思わせる大きな機械があった。機械の前でしばらく待つと、扉がひとりでに開いた。「おおっ!」と、無邪気に喜んでいると
「それじゃあ入るよ。ちょっとだけガタンてするよ。」
と、椅子を回転してもらい背中向きに機械の中へと入っていった。大きな機械に見えたそれこそが湯船だったのだ。「なるほど!だから、機械浴なんだな。」と、すっきりとした気持ちになった。その後、自動でお湯がはられ、セットされたタイマーで5分間心地良い湯船の中を楽しんだ。(「ぶくぶくする?」と尋ねられ、「お願いします。」と答えるとジャグジーまで楽しめた。)
かけ湯をしてもらい、浴室から更衣室へと戻ると、再びのピットイン。ズボンと下着に足を通すために安全バーを持って一瞬立ち上がった以外は、何もかも全て着させてもらった。(もちろん素早く、そして面白いトークも忘れずに。)
髪を乾かしてもらい、(この時、昭和初期の芸能人のように7:3にぴったりと横分けにするスタッフがいたりして面白かった。)浴室を出るまでにかかった時間、およそ30分強。すべての入院患者に入浴してもらうためには、丸一日かかるという。
「リハビリ病院」としては、脱衣、着衣などはできるだけ患者自身にさせて、スタッフが見守ったり、手伝ったりするのが理想なのであろう。また一方で、少しでも長い間「気持ちの良い入浴」を体験してほしいと言う願いもあろう。理想と現実の両立はきっと難しいことなのだろうが、患者の為を思う温かさが伝わってきた。
「機械浴、機械浴と少し身構えてしまったけど、たくさんの人に支えられて気持ちの良いお風呂だったなぁ。それにしても、自分の予想の中で当たっていたのは、ウイーンという浴槽の扉が開くときの音だけだったなぁ。」と、ゆっくり思い返しながら、押してもらう車いすの心地よいスピードを楽しんだ。
頬を撫でる風が気持ちよかった。
それは、サンダルを履いて自分の足で歩いているときと、何も変わらなかった。
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