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父とコーヒー

私の父は変わった人だった。
世間の父親像には全く当てはまらない、独自の人生を生きた人であった。
私の人生は少なからず彼のから影響を受けている。
ふと綴りたくなった私と父の数少ない思い出をここに残しておこうと思う。

会社員<音楽

父はサラリーマンであった。
朝早くに家を出て夜は子供の寝た後に帰ってくる生活で、父と顔を合わせる機会は少なかった。
そのうえ、どちらかと言うと子供好きではなかったので自ら子供と接する機会を作ろうとする人でもなかった。

平日はサラリーマンの父の、人生の主軸は休日にあった。

休日の父は「チェロ奏者」だった。


チェロってどんな楽器?という方のために
世界的奏者のヨーヨー・マさんをご紹介します。


中学時代の恩師のおかげでチェロと出会い、高校・大学と学生楽団で演奏したらしい。
父の実家は決して裕福ではなっかたが恩師の計らいでチェロ奏者として演奏活動を続けることができたようだった。
父の人生の出会いと運命、ドラマティックでちょっとうらやましくなる。


大学で少しハメを外してしまった父は留年しまくって親を心配させながらも卒業しサラリーマンの道へ進んだ。
普通なら就職すれば音楽活動から離れてしまうものだろうに、父は地元の市民楽団へ所属してバリバリ演奏活動していくことになる。

得体の知れない人

平日は会社、休日は音楽活動に精を出している父は私にとって
「得体の知れないところもある、なんだかかっこいい人」だった。
友達のお父さんは休みの日に遊んでくれるらしいが、うちは何か他とは違う特別な人らしい・・・とぼんやり感じていた。


父の血をついで私も音楽が好きで、たまに父が家にいる休日にチェロの練習をしている音を聞くのが好きだった。

今考えると、田舎とはいえどもごく普通の住宅街で防音設備もなくチェロの演奏をしていた父。
たまの出来事とはいえ、ご近所さんにどう思われていたのやら・・・。

多趣味な父の教え

父は音楽以外にもこだわりたい性格の人だった。
お酒に弱くすぐ赤い顔になるくせにウイスキーの小瓶を集めていたし、その後バブル期にはワインを集めていた。
時代の流行りに乗っていたミーハーな人だ。

たまに家にいる時、おやつ時には
「家族でお茶しよう!」
と言って紅茶の茶葉を買ってきて、丁寧に茶漉に茶葉を入れしっかり蒸らして入れてくれた。



そして、コーヒーは豆から挽いて入れていた。

手回しのコーヒーミルでゴリゴリと音をたてて豆を粉にする。

紙フィルターを置いたドリッパーに粉を入れ、少しお湯を注ぐ。

しばらく蒸らしてからゆっくりとお湯を落としていくと、粉がむくむくと膨らんでコーヒーの香りが広がる。

子供心になんともワクワクする時間でコーヒーの香りも心地よかった。

小学校5年生ごろには私にもコーヒーの淹れ方を教えてくれて、たまのティータイムに腕前を披露していた。

豆から淹れるコーヒーにミルクや砂糖は必要ないと子供ながらに感じた。
ブラックコーヒーを嗜む小学生の誕生である。


そんな私に父は「ブランデーを少し入れると美味いぞ」とニヤリとしながらコレクションのブランデーの封を開けた。
父との秘密の味だ。

コーヒーと思い出

父は私が24歳の時に亡き人となった。

もう20年ほど過ぎたのだな。
チェロの音色を聞くたびに、コーヒーを入れる度にふと父を思い出す。

自分でコーヒーミルを買う時に迷わず手回しにしたのは、ゴリゴリと音を立てて手間をかけて淹れた思い出を忘れたくないからかもしれない。

今は色んな国の色んな農園の豆が手に入る時代になった。父がいたらスペシャリティコーヒーを2人で楽しんでいただろうな。

コーヒーと父の思い出は一般的な親子らしい思い出話ではないかもしれない。
こうして改めて書いてみると本当に変わった人だっだんだな、父って。

さあ、コーヒーを淹れようかな。

おわり


うちはカリタさんのミルとドリッパー使ってます





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