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二転三転:人間とは(第一転)

TEXT by Momoka Yamaguchi

社会や時代の流れに合わせて価値観は変わる。その変化は社会の空気を敏感に感じ取る者たちの作品/言葉によって表され、作品を見た者/言葉を聞いた者の世界に影響を与える。私の世界ももれなく他者からの影響を受け大小の差はあれど二転三転している。だったらその変化ごと記録をしてみようと始めたこのコーナー。ここでは、他人の思考と自分の思考を照らし合わせる手段のひとつ「読書」をとおして、毎回一つのテーマをもとに二転三転しながら自身の考えを深めていく。

【選書テーマ】人間

ハーモニー(伊藤計劃)

ハーモニーは限りなく理想に近い絶望(望むという行為や意思自体が無くなるという意味で) 人の意識が消滅した世界。 そんな世界に生まれるのは御免だけど、既に生まれている今の私にはそれが素敵に思える。

魂が消えても、存在はあるから家族にも友達にも迷惑かけないし、身体は死ぬまで社会に貢献できるから役に立つし、世界と自分の距離感に苦しむこともない。ミァハがそんな世界に対してつぶやいた「恍惚」という言葉が否定できない。 

それでも、どこか不快に思うのは私の中にある人間の動物的な部分が拒絶をしているからなのでしょうか…

スクラップ・アンド・ビルド(羽田圭介)

早く死にたいと何度も呟く祖父。溺れていた所を健斗に助けられ、ありがとうと穏やかな声でいう祖父。 祖父の意思を尊重して、自発的尊厳死に協力していたつもりの健斗は、祖父の相反する言葉に混乱する。 私は、どちらの言葉も祖父の本音だと思う。生きたいと思うだけなら過去に自殺未遂はしない、死にたいならリハビリせずにベッドで寝続け朽ちれば良い。

私が思うに祖父は「人間の本来の死」を強く求め続けていたのではないか。「尊厳死」という言葉は、人間が人間としての尊厳を保って死に臨むことであり安楽死などの言葉とともに扱われることが多い。では、祖父にとっての「尊厳死」とはなんだったのか。それは「死にたい」と苦しんでいるとしても、命ある限り人間として最後まで死に抗い続ける「人間の本来の死」のことかと思う。この場合の死は自分の死に対する悟りや潔さなど精神的な死ではなく、本能的な強い生への執着心であり、動物としての死に近い。

まだ命があるから生きるし、苦しくても辛くても生きている間は闘い続けるしかない。勇気も年齢も時代も何も関係ない。ただそうあるのみ。 それが生きることの全てなんだと思った。

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