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受験と終わることのできない努力

最近共通テストのニュースなども流れてきて、受験のシーズンになってきましたね。
私も、高校、大学と受験してきた身ですが、ここで一つ自分の失敗談的なものを交えてお話をしたいと思います。

個人的な意見・考えをかなり含むのであまりアテにはせず、こういう考えの人もいるんだ、くらいで見ていただければと思いますm(_ _)m


私の高校受験

私は中学生2年生あたりの頃、成績はけっこういい方でしたが、進路や学歴といったものにはまだあまり興味がありませんでした。

そんな中、部活の先輩が卒業していい高校に入っていると聞いたり、テレビで高学歴の人を集めたトーク番組を見たりして、何となくかっこいいな〜と思って3年生になる前の春休みから意識して勉強量を増やし始めました。

そのおかげか、3年生になってからはより成績も上がり、模試などでも結果が良くなっていきます。

最終的に、地域では2番目くらいの「かしこ」と言われるような高校を第一志望に決め、合格します。

その当時の私は、勉強で好成績を出すことに快感を覚えていたし、勉強ができるという点で家族から褒められたり周りからチヤホヤされることもあったので自分に誇りを持っていたと思います。


高校入学後

以前にも記事に書いたことがありますが、私は高校に入ると、一気に勉強のモチベーションが下がることになりました。

というのも、いい高校に入ったので、自分が頑張って取り組んだテストも思ったほど点が取れないし、中学と違って周りも頭がいいデキるやつばかりだったのです。

今になって客観視してみると、私は中学まで周りと比べて優れているという点に優越感を覚えていたし、テストで良い点を取ること自体が目的になっていました。
そのため、いざ頑張っても自分より上がたくさんいる環境に置かれると、一気にやる気がなくなっていきました。

また、そういう高校なので出される課題や要求される学力もこれまでとは比較になりません。
ただ付いていくだけでも私にとってはかなり努力が必要だったし、しんどいことが多かったです。


私の理想とのギャップ

ここまで書いたように、私の高校生活は理想とはけっこうかけ離れていたわけですが、いい高校に入ろうと思った時点で周りも頭いいのは想像もできるはずなのに、なぜここまでギャップを感じてしまったのか考えてみました。

まず、私は高校入試において、入ってからどうこうよりも「〇〇高校に合格した」という結果を得ることのほうが優先順位が高かったため、あまり入学した後のことを深く考えていなかったことが挙げられます。

何のためにあの高校に行きたいかという点が曖昧だったので、入ってからも「〇〇のためにここに来たんだから頑張ろう!」みたいな気持ちが全然湧いてこなかったのかもしれません。

次に、子供の頃からよく「今頑張ったら後で楽になれるよ」という言葉を言い聞かされていたことです。
この言葉をずっと信用していた私は、いつも特に深く考えなくても、頑張ったことは後につながるし、努力した結果さらにしんどくなるなんてことはない、とどこか思っていたため、「高校受験を頑張ったんだから高校生活もいい感じに過ごせるだろう」と謎の自信がありました。

その謎の自信が打ち砕かれたことが、より溝を広げたと思います。


受験を控えている人へ

これからの受験生へ、アドバイスと言うとおこがましいですが、私の経験から、伝えておきたいことを書きます。

今頑張れば後で楽になれるとは限らない、ということです。

入学試験というのは、入ってくる人の能力を見て合否を決めるものであるため、入るのが難しい高校であればあるほど、高い能力を持った人たちが集まりますよね。
学校側もそれを分かっているので、偏差値が高い学校ほど入学後も能力が要求されるでしょう。

要は何が言いたいかというと、難しい学校に入ればより高い能力やより多くの努力が必要になるかもしれないよ、ということです。

もちろん頭いい学校に入らないほうが良いよ、とか言いたいわけではないし、そういう所に合格することだけで十分すごいというのは大前提の上ですが、今頑張った分だけ後で努力する量が減らせるわけではなく、努力していい学校に入ったらその先でもまた多くの努力が必要になるというのは頭の片隅に置いておいてほしいです。

事前にある程度覚悟していれば、「思ってたのと違った」というしんどさは少しでもマシになるかと思いますので。


「頑張ること」について

私は高校で落ちこぼれたので、大学はまあ有名でも何でもないほどほどくらいの所に入ったのですが、有名な国立大学に入った友達に話を聞くと、そちらは比べものにならないくらい課題とかも大変そうな様子でした。
私がしたのは高校の話でしたが、ここまでした話は大学や社会でも共通してると感じます。

個人的な考えかもしれませんが、「これまで頑張ってきた事実」というのは、社会では「これからも頑張れることの証明」のような形で使われているように感じます。

例えば、企業の採用基準に学歴フィルターがあったりするのは、単純な知識量・学力などを求めるだけでなく、「これまで頑張ってきた事実」がわかりやすく表されるものを「学歴」として、学歴がある人はこれまで頑張ってきたのだからこれからもこの企業のために頑張ってくれるだろう、といった信頼につながるからではないでしょうか。

私も経験したことですが、これまで頑張れていたことができなくなると、周りに落胆されることが増えます。
「やればできるはずなのに、何でやらないの?」と。

頑張るほどに、自分の「普通」のハードルは上がっていくのです。
今までしていた努力をしなくなったとき、できなくなったとき、他人からは「今まで普通に越えられていたハードルを越えられないのは怠慢だ、サボりだ」という厳しい目線を感じました。

しかし、実際頑張り続けると他人には分からなくても、自分の中でのハードルは段々上がっていくし、いつか越えられなくなるのも必然だ、とも思うのです。
だから、もしも自分が頑張れないときが来たら、周りの目を気にしすぎず、「こんな時もあるだろ」と開き直るくらいでいても良いと思います。

気にするな、と言われてすぐできるものでもないとは思いますし、自分もそうでしたが、周りに何と言われようと、「努力できなくなった自分が全部悪いんだ」とか全面的に悲観する必要はないよ、ということは伝えたいです。


最後に

こんなことを書いてきましたが、高校で周りに同じような人がたくさんいたということでもないし、私個人が気にしすぎなだけかもな、とも思ってます。

とはいえ同じように気にしちゃう人もいるとは思うので、そういう人にとって少しでも役立てば幸いです。

後、高校入試に成功して良かったことももちろんありました。生徒が皆いい人ばかりだったことです。一定以上に勉強を頑張った人が集まるからか、世に言う不良みたいな人は全然いなかったし、いじめのいの字も聞かないような平和さでした。

色々言ったけど頑張ればもちろん良いこともたくさんあると思うので、適度に頑張って、適度に気楽さを保って生きていければ、と思います。

では。








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