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自己対話や内観の中で「なぜ?」と問う前にめっちゃ大事なこと

(今日の記事は超、超、超、保存版だと思います!シンプルだけどね)

自己対話、内観、言い方は何でもいいですけど「自分と向き合う」時の王道的なやり方って、

自分に対して「なぜそう思ったの?」と ”なぜ” を繰り返す

ですよね。私もやってます。


が!

”なぜ”を繰り返しながら自分の感情や思考を深く深く見つめていく時に、めっちゃ大事な前提があるんですよ。

それは、

私が感じたこと考えたことは、全部あっていい


と、自分に湧き上がったものを全て受容すること。


あなたの思うこと感じることは全部正解だよ、とか正しい・間違いという判断とはまたズレていて…
「どんな感情も思考も、あっていいよ」と”存在を認める”ことなんです。


人には到底言えないほどの憎い気持ちも、
自分では処理しきれないほどの怒りも、
人知れず抱え続けてきた強い寂しさも、

持っているだけでもしんどい暴力的な思考も、
自分を苦しめる”べき””ねば”という観念も、
こんなこと考えちゃアカンと思うようなことも、

全部全部あっていいよ


とマルをする。
これが、自分を深く見つめていく入り口の段階で必要なんです。


ここを無意識的にすっ飛ばしてた時の私はどんな感じだったかと言うと、

あー、これがダメなんだね
あー、これが悪かったんだね
あー、この自分の言動がいけなかったんだね

こういう私が悪かったんだ

こういう私がダメだったんだ


という”私ダメ結論”に行き着く。
(ダメとか悪いとかそういう言葉は出て来なくても、無意識に脳内でそう喋ってる可能性はめっちゃあります)

例えて言うなら、出発駅が「私はダメ」だとすれば、必ず終着駅も「私はダメ」。

こうで、ああで、こうなってて、これがダメで、その原因にはまたこれがダメで~~~~
みたいなのは、ほぼ山手線やな。
くるっと一周して帰ってきた場所は一緒です!って感じ(笑)

懐かしの山手線(学生時代によく使った)

出発駅と終点駅が一緒なので、「結局・・・私って何なの?」という感じで終わる。思考も感情もスッキリしない、本音もよく分からない。
だから、何度も自分と向き合ってても変化した感がないのです。このダメの手線ループにいる限りは…。


これは自分を責めたり否定したりするに慣れ親しんでいる人ほど、私と同じようになることが多いと思うし、一番皮肉なのは、

慣れてるからこそ【自分じゃ全く気付かないことが多い】ってこと。

本人としては真面目に熱心に自分と対話しているつもりだから、客観的に見るか、第三者の目を挟まない限りは、案外自覚できないことが多い。


あとは、この派生形として

責めている・否定している自分に気付いて、「あ、またやってる!責めたり否定したりしちゃダメなのに…」ってまた自分を裁くという複雑な構造になる人もいる。

”こうした方がいい”という心理やコーチング系の知識が入っている人も「それができていない自分はダメ」みたいになることも。
こうなったほうが望ましいという知識を正解として、それに沿っていない自分を裁いてしまう。これもあるある。

私もナチュラルにやっていたので全く気付かず(人のはすぐ気付けるけど、自分は誰だって盲点よな…)
カウンセリングを受けてようやく気付きましたから。人に話すの、ホント大事。



ただ、自覚できたらもうこっちのもんやで💪✨って感じで、

「私は、まずどんな感情も思考もあっていい」という始まりから行けば、
その後に出てくるもっと深い層にある思考や感情の全ても「存在していい」になる。

実際本当にその通りで、どんな自分の思考も感情も、自分を守るために自分にとって大事なことをあらゆる手を駆使して伝えるために、湧き出ているから。


・・・ってさ、そんな前提知識が頭に入っていても、やっぱり身をもって実感しないと訳が分からないんですよ。

私も「こんなの嫌だ、こんな思考なんて持っちゃダメだ」と思っていたことすら「あって良かったんだ………(衝撃)」と思えた時にようやく、身をもって、肚落ちしたものです。


ものすんごく根深い自己否定、自分責めは自分一人での解消はなかなか厳しい。コレは本当に断言するけど、厳しい。
なので一人じゃどうにもならない時は早めに降参して第三者に頼ることを心からオススメするけど、

日常の中で自分と対話する時、自分の感じたことや考えたことを深めて行く時には、この前提をよ~くよ~くしつこいぐらいに自分に伝えてあげて欲しい。

全部全部あっていいよ!

とね。


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