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被害者意識から抜け出すための必殺アイテム

被害者意識。
こんなもの私は持っていない、私とは無縁だ!ってずーっと信じて疑わなかったんですが、まったくそんなことは無くて。

自分の中の思い込みや、どろっとした本音を丁寧に出してみれば、出るわ出るわのオンパレードです。もはや祭りです。

父が悪い!!!!!
母が悪い!!!!!
アイツがダメなんじゃーーー!!!!!
なんでこんなことしたんじゃーーー!!!!!
私はゆるせーーーーん!!!!!

どんど焼きの図(笑)

これは自分の中に沈殿していた泥がようやく水面に浮かび上がってきただけなので、怒り狂って大丈夫。怒りの祭りを開催しましょう(私は不定期開催)

この泥抜きって一時的にしんどくなるので、すっ飛ばす人が多いなぁと私は感じていて。
泥抜きせずに謎のポジティブに変換して蓋をまた閉めてしまったり、泥があるのは分かってるけどただ観察して終わっちゃったり。

もちろん、何をどうしようが自分の自由なんですがね。

だけど、この祭りならぬ「泥抜き」をやらないとその先に進めないから、私はどんどん怒っていいし、泣いていいし、恨んでいいと思っています。


で、
さんざん泥抜きをやり尽くすと、ちょっと気が収まってくるんですよ。
私の場合は、怒り疲れて、泣き疲れて、眠気が勝つ……という、とてもシンプルな身体の変化として現れる(笑)

こうして感情を出し尽くしてから、ようやく

  • 私は本当は、何に怒っていたんだろう?

  • どの言動が、最も許せないんだろう?

  • 自分が一番引っ掛かりを感じるのって、何だろう?

っていう具体的な部分が見れるようになる。


というのもね、
自分が感じた生身の感情をいったんは放出して受け止めてあげないと、ここまで冷静に観れないんですよ。

感情のエネルギーって自分の思っている以上に凄まじいので、自分の冷静な目を阻んでしまって「相手はいったい自分に何をしたのか」という”事実”が見えなくなる。

私、もう何年も何度もやってて痛感してるんですが、感情をすっ飛ばして(つまり泥抜きしないで)内観しても、本っっっっっ当にスッキリしません!ここは、間違いないと思う。


さて、ようやく本題の話ですが。

こうして感情を先に出してあげた後に、冷静に自分を観る時、私がものすごく重宝している必殺アイテムがありまして。

それが、

相手が自分の期待通りに変わっても
自分の人生は何も変わらんぞ


という、大前提を持つこと。

これね、当たり前やん!と思うじゃないですか。
私も「当たり前やぞ、そんなの知ってる!分かってる!」と思っていたんだけど、自分の事となると完全にすっこ抜けていたんです(^^;)



というのも、怒りや悲しみを感じる時って、

  • 自分が相手から何かを奪われた

  • 自分が相手に与えてもらえなかった

  • 自分は相手のせいで、何かが不足している

という心理状態になっていることが大半で、無意識のうちに

相手が望む通りにしてくれなかったから
私は不幸なんだ!


と思っていて、もっと言えば

相手が私の望む通りだったら
私はこんなに苦しまなくて済んだのに!


という、たらればの立場を取っている。
自然と「相手が変われば良いのに」って感じているんですよ。

本っっ当に無意識なんですよね……。これが被害者意識の正体。
こう思っていなければ、怒りも悲しみも感じ得ないはずだし、そもそも引っ掛からないので。


で、ここまで気付けたらもうバッチリで、

うわ、私は私の幸せを相手に委ねていたんや……

と気付いた時に、ようやく被害者意識からイチ抜けるんです。

どんな心理的なワークや内観をやるにも、ここに気付けない限りは、本当の意味での深い気付きはないんじゃないかな?ってぐらい、私は大事だと思っています。

なぜなら、ここに気付かない限りは、自分の幸せの主導権が常に相手(もしくは外の何か)に依存したままだから。


一人で内観するには、まずここに辿り着ければほぼ終わったも同然。
私もようやく言葉になったんですが、難しいです。やはり。

でも、取り組む価値はすごくすごくあるよ。私もいつもハっとします。

自分に主導権があるってことは
色とりどりの選択肢を
自分が自由に望めるってこと

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