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他人の成功法則より、自分の失敗経験の中に幸せの種がいっぱい詰まってる(1)

先日、自分の過去の失敗・挫折経験を洗い出していたのですが、
こりゃあ、めっちゃ良かった!!

洗い出すってのは「あぁ、私こんなにダメなんや~シュン」っていう自責の為にやるもんじゃなくて、

私の最善の選択にとって、何が大切なのか?

というonly oneの羅針盤を見つけるために行うもの。

私自身、自分がこうする!って決めたことには超ブレなさ(友人曰く、自分に対して”だけ”超頑固)を発揮することがほとんどだけど、

それを発揮せず、どっかーーんと派手に上手く行かなかったことには明確な3つの共通点があったのです。


それは、

①周りの評判や口コミの良さ”だけで”決めた【他者基準】

②これやれば上手く行くだろうという”他者任せ”で決めた【他者原因】

③こういう風になりたくないという”不安から”決めた【問題回避】


この3拍子。
それはそれは鮮やかに出てきて、思わず笑えてきましたわ(笑)

私の場合は、1つでも当てはまれば必ずどこかで行き詰るし、3つ全て揃った時にはもう……コテンパンにドンガラガッシャーン!ドッカーン!ですよ(擬音語w)

実験失敗、の図(笑)



で、ですね、私の失敗を1つずつ詳しく見て行くと

「周りの評判、口コミだけで決めた」状態は、この要素が揃ってる。

  • 私の好きな人/尊敬する人が良いって言うから~

  • 周りがなんか盛り上がってて楽しそうだから~

  • 早くこうした方がいいよって言われたから~


こういう感じって、

”何とな~く良い雰囲気”
”自分もそっちに流れていけば楽しそうな空気感”

が流れているんですわ。確実に。

特に、自分が好きな人や頼りにしている人がその中にいると、尚更魅力的に感じるものですよねぇ。

それに、自分自身がグラグラと揺らいでいる時こそそういう空気感に溶け込みやすい(というか、自ら溶け込みに行こうとする)上に、そういう自分に気付けない。

いや、気付こうとしない・気付きたくないっていう感じの方が強いかな。


(この点に関してはもうちょい話が深くなるので、別の記事で)


で、そういう感覚的なものを1つの考慮材料にすることは全然アリなんだけど、その根底に

この人が言うから、間違いない!


という他者に1000%寄りかかった部分があると、それは違う。
選択の基準が「自分の感覚」ではなくて「他者の感覚」に委ねてしまっている。

他者の意見や感覚 を 自分のそれと置き換えて、

他者の意見や感覚 を 自分自身の拠り所にして、

他者の意見や感覚 を 自分の安心材料にして、

〇〇があるから私はこういう決断をする!という状態になってる。


・・・ここで葛藤するのは
「じゃあ、私は誰の何の意見も聞かないほうが良いのか?」って部分ですよ。

私の場合は、自分にとってものすっごく大事な決断であればあるほど他人に言わない。
家族でも、親しい友人でも、パートナーでも、お世話になってるメンター的な存在の人でも。基本的に事後報告。

自分の中でじっくりゆっくり考えに考えを尽くして、ある程度「こうしたいな」って意思が内側で熟成された後に、この人には話してみたいと思う人にだけ話す。

意見やアドバイスが欲しい場合は、相談業としてプロでやっている人に聞いてもらいに行く。無料はもちろんもっての外で、絶対に有料です。


(これ、結構少数派らしく「世の中の大半は、あなたみたいに真剣に考えてないよ」って言われた時には超ビックリしてしまった……ぉぉぉマジか)


で、話がちょいと逸れたけど、そうやって自分の中で

他人の意見や客観的な何かを「自分が」どう扱うか

ということを決めておけば、いいんじゃないかな?
(つまり、自分自身の基準をあらかじめ作っておくこと)

これが、失敗を経た私の現時点での結論。

自分がいい!って思ったこと、感じたことを信じ抜くって超シンプルだけど奥深いもの。
重大な決断ほど、日頃の自分の行いがそのまんま反映されるもんなのだなぁと感じますねぇ。


長くなったので、②と③は次の記事に続きます。

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