見出し画像

自分だけの「好き」を見つけたいなら、合理性と効率性の外へ出るのみ

ここ最近、インスタのストーリーズで「風水小話」というのを始めたのですが…。(ネーミングが全く可愛くない!!笑)

楽しい♪ ♪ ♪


東洋哲学の大事なエッセンスだけを抽出して、専門用語を極力使わずに伝えるようにしているので私の良いアウトプットにもなるし。
興味持ってくれた人には、ぜひ風水を使ってますます人生を良い方向へ導いて欲しいし。

そんな風に思ってやっていると、

やっぱり楽しい!

絵の意味は分からんけど
楽しそうで使いたくなったキャプチャ(笑)


自分が楽しんでやるのは、やっぱりいいなぁ。
でも私は根っからの飽き性だし、工夫が必要だな~なんて思いつつ
自分が日々喜びをもって続ける方法を模索しながらコツコツやっております。


でね、そんな楽しいことをやっているうちに

好き とか 楽しい とか
よく言われる「ワクワクしよう!」「ワクワクに従おう!」とか
そういった類のことを見つける為には

合理性とか、効率性とか、
そんなの度外視した世界に行かなきゃ分からんな

って改めて思ったんですよ。



私も「好き」「楽しい」を見失った時期があったけど、そういう時は

将来の自分にちゃんと役に立つか?

これをやっておけば、とりあえずは稼げるか?

自分にとって何らかのメリット、利益があるか?

ということばっかり、考えていた気がする。

もちろんね、こういった実利的な部分も超超超超超大事。
特に仕事とか、自分にとって重大なプロジェクトの時とか、必要な時期はある。排除せよ!ってことじゃない。


ただ、”純粋な気持ちにおいての好き””楽しい”という部分を見出すには
エネルギーの向け方が「逆」なんですよ! 全くの逆方向。


東洋哲学のエネルギー構造で見れば、

自分という存在が適切に満ちてくることで
(自分を愛する、大事にするみたいな部分)



自分を楽しませてくれるモノや人に気付き
自分の喜びを子どものようにピュアに表現したくなり



この段階を踏んで、ようやく
目に見えるような豊かさ、お金、といったものが満ちてくる


という循環であり、且つ


はじめっから「実利」「効率」「合理性」みたいな男性性な部分が過剰になると、自分のエネルギーを削ぐ。

つまり、自分のことが分からなくなる。

自分のことが分からんってことは、自分の内にある”喜び””楽しみ”は見出せなくなる。


こういう構造になっています。
東洋哲学って本当にすごーーーーーい!!!

専門用語を使って難しく書けば訳分からなくなるのでかなり簡潔に書いたけど、
これが何千年も前から体系化されてるのですよ。

何度も言うけどすごいよね。私、何度見ても感動するなぁ…。


ということはですよ、

「実利」「効率」「合理性」を切り離せたら、自分の”好き”や”楽しい”を見つけるのってそこまで難しくない!ってこと。

好き、楽しい、って感じられる自分の状態をコツコツと育んだ上で
その心の微細な動きを自分がどれだけ気付けるかっていう。

ただ、それだけ。


だから、いったんは合理的な部分を置いて(後でいくらでも考えられる余地はあるから)
自分の心が、感覚が、何に反応するのか?その一瞬一瞬をキャッチし続けることだと思うのです。

その地道さを、丁寧さを、いかに自分に向けてあげられるかなんだよね。


最後に、おまけ。

私のマニアックな”好き”で言えば、
King&Princeが踊るゴリゴリのヒップホップ❤️

アイソレーションの滑らかな動き、狂気にも近い気迫、そしてキュッキュって床と靴が擦れて鳴る音が好き………

マニアックofマニアックですが、こんなんでいいのよ!!🤣





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?