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持っちゃいけない感情なんて何一つ存在しないよ

明けましておめでとうございます。
こっそり読んでいる方も、ガッツリ読んでる方も、いつもありがとうございます♡

少し暖かくなって過ごしやすい年末年始だなぁという感じですが、風邪も流行っているので、皆さまどうぞ身体第一で、笑顔で過ごせる時間が少しでも多くありますように。



さて、年末年始に父と色々話す中で思ったことが多々あったのでシェアを。

話の細かい流れは割愛しますが、父にこんな風に言われた1コマがありまして。

「もう亡くなった人に対して、過去のあれやこれやを憎んだり文句を言ったりするのは違う。それは、人としてすべきじゃない!亡くなった人は敬え!」

いやぁ、ひっさしぶりに心打ち砕かれてしっかり傷付いて激昂していたのですが、これ本当に厄介だよね。「人としてこうあるべき」という言葉。

「人として」とか自分よりも遥かに大きい言葉を出して自分を正当化するんじゃなくて、あんたの意見として言えよ!と一蹴したのですが。

いくら亡くなった人であろうが、精神的・肉体的な苦痛を受けて傷付いていれば、いくら時間が経ったとしても嫌だし、憎いし、怒りたいし、そんな感情を持って当然のこと。






ですよね。(大事なので2回言った)


亡くなったから全て帳消し、総清算です!なんてルールはない。なぜ亡くなった人だけ例外扱いしなきゃいけないんだろうか。不思議でしゃあない…。

もしそうしなきゃいけないと言われたのなら、それは人間が勝手に作ったルールであり、従わなきゃダメなんてこともない。


で、誰かが亡くなったかどうかに関わらず、自分の中に湧いてくる感情や感覚を「人として」というよく分からん大義名分?を使って禁じることは、何の利にもならないですよね。ただ苦しいだけ。

自分の為にも、自分と関わる人の為にも、大きく見て集合意識の為にもならん。

だってさ、他人に対して優しく出来ない時もあるし、意地悪したくなる時だってあるし、嫉妬もする、憎みもする、許せなくて苦しい時だってありますよね。
そういう感情や感覚って、生きていれば誰しもどこかで経験する。

もっと言えば「肉体を持って生まれたくなかった」とか「自分が生まれてきて、存在してごめんなさい」とか、そういう感覚を持っている人もいる。
それも当然だし、居ていいし、実際に聞いたこともあります。


だけど「人としてこうあるべき理論」で行けば、人間として持っちゃいけない感情や感覚があるってことでしょう?

んなわけねぇだろうが。

(新年早々、口が悪くて失礼)

自分が感じることに、正しいとか間違いとか、何もないよ。

持っちゃいけない感覚や感情なんて、何一つないよ。それがどれだけ非常識だと思われるものであったとしても。



私が教育学部時代に読んだ文献(思い出せなくてショック…)で今でもずっと心にずっと留めているのは

人としての本質は、倫理観や道徳観の外にある

という言葉。これ、本当にその通りだなぁって思うんですね。

「人としてこうあるべき」「普通はこうだ」みたいな枕詞が付く言葉の対極にあるものこそ、すごくすごくすっごく大切。

ネガティブだ、醜い、ダメだ、そう思う感情感覚の全ては、肉体を持って生まれたからこそ味わえる特権なのですよ。
死んだらそんなの味わえないのだから。

それを「人として」云々かんぬんで倫理観・道徳観を持ち出されて禁じられたら、肉体を持って生まれた意味がまるでない。

「お前は感じるな」って言われてるのと一緒だし、それは自分という個性の死を意味する。

それだけ重いことだと思う。「人として」というよく分からん大きな言葉で、自分や誰かの感情や感覚を価値判断し弾圧する行為は。

(ただ、その感覚や感情を他人に振りかざすのは違うし、それを正当化して誰かや何かを傷付けていいという訳ではない)

繰り返し言うけど、いいんだよ。
倫理観や道徳観に合わない感情や感覚を持っても。
感じたことをどう処理するのかは、その人に懸かっているけどね。


私も実の親にそんなこと言われたけど、自分が感じたことを「ダメだ」なんてもう絶対に思わないし、そうしない。
真っ向から否定されたことで、逆に、何が何でも自分の感じたことは自分で大事にしてやる!って、火が付いたわ。

自分が感じたことをそのまんま尊重してあげられるのは、自分だけ。
「私が感じたことは、全部あっていいし受け止めるよ」って言ってあげられるのも、自分だけ。


ここはどれだけ他人が愛ある言葉をかけてくれても、限界があるところです。大きなサポートにはなるけどね。


倫理観、道徳観から外れた醜いと思うような感情や感覚も感じ、味わってこそ見える景色がある。
感じてもいいんだと許せることでしか味わえない人間としての学びがある。絶対にあるよ。

むしろ、それをやってない人の言葉はいつも表面的です薄っぺらく心に染み入って来ない。

100%綺麗でピュアで混じり気のない人なんていないし、いたら不自然だし、私はそんな仮面の裏にある素顔を見たいと思うな。

繰り返すけど、もう一度言う。

自分が感じることに、正しいも間違いもない。

持っちゃいけない感情も、何一つないよ。

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