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自分を愛するを本気で取り組むと見える世界
「自分を愛する」ということの大切さは、多くの人が知っているはず。
私も、時に自暴自棄になってサボリ、時に真剣に向き合い、と紆余曲折取り組み続けてきて、今、ふんわりと分かってきたことがあります。
自分を愛した結果、お金が増えましたとか、パートナーが出来ましたとか、そういう目に見える果実を手にする前に、こっちが先に起こる。
特別な何かが起きた訳じゃないけど、幸せだな。
この”ふんわり感”です。
ふわふわ、ほやほや、ぽわぽわ、身体に立ち起こる感覚は人それぞれだから、表現は何でもいいんやけど(笑)
本当にね、何故か知らんけど湧き起こってくる”ふんわり感”がとても心地よくて、あぁ私はこれが欲しかったんやな~と思ったし、そう思えた自分が誇らしくも感じた。
今年は特に「自分を本気で愛する」を取り組んで、愛するために自分が最も見たくなくて封じ込めてきた感情、認めたくなかった部分を一つひとつ掬い上げてきて。
(もちろん100%全てではない、今の自分が認識できる部分だけ)
その結果として、こういう”ふんわり感”を掴めるようになってきたんだなぁ。
なんか、泣きそうなぐらい心がじんわり温かくなったし、私は大丈夫だなっていう根拠なき確信もますます育ってきている感覚がした。
それは、私にとって何よりのクリスマスプレゼントのような気がしたんですね。
じゃあ「自分を愛する」って具体的に何をしてきたか、
というのをシェアしたいんだけど…
あらゆる自分と感情を見て、その全てを許していく
たったそれだけなのです。
”たった”と書いたけど、これが最難関。言葉で言うほど簡単なことではないし、出来たらみんな苦労しないよね。
これを(何らかの理由で)やりたくないから、色々と理屈をこねくり回して自分で複雑にして、がんじがらめになって、拗らせるし(笑)
でも真剣にやってみて思うのは「本気でやってなかっただけだわ」ってことだった。
本気でやるとか根性論でしかないやん、そんなの!と思われるかもしれないけど、やっぱりここにしか答えはない。
今がどんな状況であれ、
どんな自分も愛せるのか。どんな自分も認められるのか。
それは、
(知識やスキル、ノウハウの有無で)できるか、できないか、の次元じゃなく
(自分自身が自分にコミットして)やるか、やらないか、の次元だった。
だからこそ「やる」を選んだ。
もちろん、選べない日もあります。そんな自分を責める日もある。
でも、そのことに対して自分を悪く言うのも辞めた。癖はまだ抜けきっていないけど「責めてんな、否定してんな」とただ観察してあげるだけ。
そして、できるだけ多くの瞬間に、「やる」を選び続ける。
その積み重ねだったなぁと。
上にも書いた通り、自分を愛するって無条件的な行為だから「お金がもっと増えたらいいなと思うから、愛してみよ」とか「これ引き寄せたいから、セルフラブ的なことやってみよ」だと、埒が明かないんよ。
というか、そういう下心は自分で自分の首を絞め、自分で自分が信じられなくなる一方なんだよ。私もよくやるけど🤣
それは、あなたが心から大事な人に対して「ありがとう」を伝える時、
ありがとうって言ったら、私の金が増えるわ~フッフッフ(ニヤリ)💸💸💸
みたいな下心を隠しながらも隠しきれず、ダダ漏れしながら向き合ってるのと一緒なのです(笑)
そう考えてみると、めっちゃ気持ち悪いでしょ。信頼無くすでしょ。なんやコイツ、己の利の為だけに私を利用するんかって相手に思われて当然でしょ。
超分かりやすい例え話をしたけど、何の利もなく、ただただ自分の本当の想いや感情、実は考えていたことに耳を傾けて無条件に認めるって慣れていないし難しいなぁって、私は今でも思います。
慣れていないし、経験が少ない人もいるし、だからこそ「自分を愛する」ことのハウツーとか、逆に「愛されるためには」みたいな発信が巷に溢れかえって結局何すればええんや状態になるのはよく分かる。めっちゃ分かる。
だって、愛するって本当は何の知識も思考も分析も要らなくて、雑念を取っ払うことでもあるから。
ただただじっくり聴いてげる純粋さ・誠実さをいかに自分自身に向けてあげられるか、そこに懸かっているから。
やることは非常にシンプルなんです。
どんな自分の声にも耳を傾けてあげるだけ。たったそれだけ、されどそれだけ、の世界なのです。
そして、それを積み重ねた時に感じる”ふんわり感”は、何にも代えがたいものです。本当に。
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