ほのかな違和感こそ、最も精度の高い人生の羅針盤
昨日こんな記事を書きましたが、自問自答すること、考え続けること、そしてそのキッカケとなる「違和感を絶対に無視せず、きちんと受け取ること」って大事なんだなぁとしみじみ感じています。
私にとっては西洋占星術に出会ったことが始まりだけど、
ストレートで大学卒業して、
誰に言っても恥じないええとこに就職して、
順調にキャリアを積んで、結婚して、
転職して、出産して、
みたいな、自分が”理想だと思い込んでいた”人生を、ぶっ壊す為に必要だったのは間違いなく「違和感」でした。
私の周りには、こういった王道レールを地で行く同級生は結構いる。大衆の価値観という色眼鏡で見れば「ええなぁ、羨ましい…」と思う人生なんじゃないかな。
もちろんそれが本人にとって心から望むことで、幸せを感じる人生であれば、とっても素敵なこと。私には出来ないことなので、純粋に凄いなぁと思う。
以前私が「会社に週休2日って決められるのめっちゃ嫌!好きな時に休みたい!」って言うのに対して、
「え、週2日も休めるのがいいじゃん。決まってるから絶対休めるし」てな返答が来る同級生もいて、
決まった生活・決まったレールにいることに落ち着きを感じる人、好きな人も一定数いる。
お互いの価値観があまりにも違い過ぎていつも笑うけど、それは良い悪い、正しい間違いは何もないので、
お互いを面白がって話をする関係性でいられるので嬉しいなぁといつも感じるのですよ。
ただ、私のように
という一抹の違和感を持つ人達、自分の人生に不協和音を感じる人達は、
自分の生きたい人生はホンマにこうなんか?
ということに真正面から向き合う、自分の命をどう使うかに対して誰よりも真剣に考えるようになるんですね。
そのキッカケを与えてくれる「違和感」は、すごく大事。
どんなに突拍子の無いことでも、他人に理解されなくても、自分だけは大事にしたほうがいい。
違和感をどれだけ無視せず、大事にし、自分の中でその違和感に対する理解や歩み寄りを出来るかどうかが、
自分が本当に望む人生を作る為の大前提なのだと思う。
私は以前、仕事の帰り道でふと
「え、私ってスーツ着て会社行って、毎日こんな生活をするのが、この先何年もずっと続くの?耐えられない………どうしてみんな正気で居られるのですか…………」
ってあまりに絶望した瞬間があったり、謎の蕁麻疹出たり、嫌すぎて涙が止まらなくなったり、色々とありました。
・・・というか私の場合、素直すぎるのか、秒で身体に来ます。
心がどんだけ頑張って頑張って違和感を無視しようとしても、
身体がすぐに「ハイ!無理っす!強制終了~!!」ってサイン出すし、年々そのスピードが上がっている気がします(笑)
なので、何年もずっと同じことで悩んでいて、決断できなくて、同じ場所にず~っと居続けて…って人は、私から見たらめちゃくちゃスゴイ。
何という鋼の忍耐力なのでしょう。身体どうなってるんや。私にはそのような耐性は皆無だ…………と思うのです。
もちろん、それはその人なりの苦労や痛み、複雑な事情があるだろうし、
忍耐力というよりも"麻痺"に近いのだとも感じますけどね。
昨今ではお子さんが不登校で悩む親御さんも多いけど、そういう子どもたちほど違和感にとても敏感で、素直な証。
その感覚に従えることは、勉強ができること、友達と仲良くできることよりも遥かに素晴らしい。
なんて勇気ある、生きる力なんだろうか。
私はとても良い事だなと常々思いますね。どんどん親に、学校に、反抗しようぜ!
(こんな考えだから、教員採用試験で、試験官ウケする小論文が書けずに意気消沈した人…)
学歴がある。
評価されている。
恵まれた環境がある。
パートナーがいて、生活は困らない。
可愛いお子さんがいる。
いつも誰かに囲まれている。
好きなことをして楽しそう。
そんな人を外から見て満たされてる・恵まれていると思っていても、
当の本人が「違う」と思えば、それは違うのかもしれない。
本人にしか分からない微妙な噛み合っていない感覚、それじゃない感覚、というか。
その違和感は間違いなく自分の魂からのサインなので、
何がどう違うのか、本当は何を望んでいるのか、自分はどうしたいのか、に向き合う意味はめちゃくちゃある。
私もそのプロセスの中にいて、違和感を見つける度に「あ”ぁ”ぁ”ぁ”!」と一人で悶えている人間ですから。
だからこそ、違和感を大事にしたいなぁという自戒を込めて書きました。
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