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亡くなった母親に贈る手紙

私は、自分の21歳の誕生日直前に母親を看取りました。
21歳の誕生日当日は、葬儀でした。
こんなに悲しい誕生日は、一生でもう二度とないだろうなって思った。

癌の進行が早くて、余命宣告は受けていたんだけど
状態が悪くなるのがあまりにも早く感じられたし
急変した時には既に遅いって感じで心の準備も何もできず

だけど、親が死ぬ瞬間というのは
当たり前だけど一生に一度しかない出来事なのだから

現実から逃げず、目かっぴらいて、
死にゆく姿をきちんと見届けてあげよう

って、精一杯腹括ったのを今でもよく覚えています。

何というか、丹田に力が入るってこういう感じかと、本気で覚悟した時の人の感覚ってこうなんだな~って。
(あまりに身体的なので、言葉で言えないけど)


でさ、亡くなったことに関しては
すごく悲しいし、辛かったし、しんどかったし、泣けるようになって良かったんだけど

私がずっとずっと心残りだったのは

あなたは本当は何を思っていたの?

あなたは本当に自分の望む人生を生きたの?


肉親が亡くなった悲しみより、私の関心は遥かにこっち。

結局のところ、母の本当の思いはほぼほぼ聞けず、
祖母に邪魔されず本当はやりたかったことも分からず。

もう、あんたの人生って何だったん?
ってのが、娘としての率直な思いだった。

ものすごい不幸に見えていたわけじゃないけど
自分の言いたいことも満足に言えずに死んでいくってのは
どれだけしんどいの?って私は思うんですよ。

たぶんそれは、次の輪廻転生で生まれ変わったらそこが課題としてやり直しなんやとも思うしね。

で、
私が母に対して聞きたかったこと(本音)は

「あなたのことを愛しているよ」
「娘として生まれて来てくれてありがとう」
「良い人生だったわ」

みたいな美しいセリフ、美談じゃなくって

本当は夫にクソむかついてたんだけど」
本当はあの時、これがめっちゃ嫌だったんだけど」
本当はこの時、すっごい怒ってたんだからね」

っていう人間的なドロドロした部分。
そっちが聞きたかったんだよ!!!私は!!!

それがあなたの本心、本音、本当の姿でしょうよ。

グチグチ不満を垂れ流しされる毎日は嫌やけど
「本当は、こう思ってたよ」って意思表示されるのはすっごく嬉しいもの。その人を知れるんだから。


もう生まれ変わったか、まだあっちの世界にいるか、私には計り知れないことだけどさ、

見てる?お母さんの魂よ。

もし次の人生があるのだとしたら、
その時は、ちゃんと自分の言いたいこと言いなよ。
言いたいと思った時に、表現してみなよ。

それをちゃんと受け止めてくれる人と付き合いなよ。

「私は苦手だから」「できない」「どうせ聞いてくれない」
って、理由付けて逃げ続ける時期もあっていいと思う。

だけど、もう分かったやろ。

逃げ続けても、何にもならんのよ。
この世でたった一人の自分を大切にできない、
せっかく受けた生を表現することもできない、
「どうせ私は」って思いながら死んでいくん?

そんだけ傷付いてきたのかもしれない。
そんだけ辛かった過去もあるのかもしれない。
私が知らないところで、色々あったんやと思うよ。


ただ、

「どうせ私は」って言っているあなたのすぐそばで娘の私は、ずっとあなたの表現を待っていたよ。

表現していいよって、言葉で行動で促し続けていたんだよ。
(途中、あまりに伝わらなくて諦めたけどね)

あなたを受け止めたいと思っていた人は
あなたのすぐそばにいたんだよ?

その事実を見ようや。


それをしなかったことに対して、私はめちゃくちゃ怒ってるし、悲しい。

私の愛を受け取ってもらえなかったことが、心から悔しい。


その怒りが、悔しさが、悲しさが原動力になって、今の私の生き方があるんだと思う。


どんな人生を作り、どんな生き方を選んで行くのかは自分次第で
私が口出しすることちゃうけども

同じ女性として、一人の人間として願うのは

ありのままの自分を表現し、受け入れ、受け入れられる、
そんな幸せを味わえる人生でありますように。

それは、
どっか遠くに行かなきゃないもんじゃなく
わざわざ病気をしないと得られないものでもなく
既に、自分の内にあるんだよ。

全てあるって、そういうこと。
すぐ近くにある途方もない大きな愛に気付いてよね。

気付いてから、受け取るか受け取らないか、選べばいいんやから、
まずは自分の近くをちゃんと見て。話はそっからよ。

お彼岸に寄せて。





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