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思い通りの人生にするとは、実は最も強い恐れに直面することだと思う
「思い通りの人生」・・・なんだか良い響きですよね。
こういった類のキーワードは引き寄せ、自己啓発の本で
よく見られると思うんです。
私も、自分の好き勝手生きたい!ってのが本音なので
めちゃくちゃ惹かれます。
ただね最近、私の好きな算命学のサイトを見ていて
改めて気付いたのですよ。
思い通りの人生って、当たり前!
思い通りの人生じゃない人なんて、誰一人居ないんよな…と。
引き寄せの法則というのは、
いわゆる東洋でいうところの「不易の法則」の応用ですが、
「これをやればこれが叶う」
「これをすればこれが手に入る」
ということを物理法則に落としただけのものなので、
そこに精神や人間性がなくても自動的に叶えられます。
(厳密には、執着を手放すとか精神の空白をつくるとかは必要ですが、それは「精神を練る」とか「精神を構築する」というのとは別です。)
そうそう、引き寄せって物理法則なんですよね。
”自分が発した波動と同じ波動が共鳴する”
というだけの話で。
(音叉の仕組みを見れば一発で分かります)
物理がめちゃくちゃ苦手でいつも赤点だった私にも
これだけシンプルだと伝わります(笑)
だけど、
こんっっっっなにもシンプルな原理原則なのに
私たちに染み付いている”変な頑張り方”が邪魔をして
真逆の方向に行ってしまうことが多いのです。
お金が欲しいんだったら
「お金欲しいな~」って言ってること自体が全く違うってのが
分かりやすい例ですよね。
もちろん私も、この罠によく引っ掛かる一人なのですが。
でもね、
私も「こんなこと叶うんだ…」みたいなミラクルを
起こしてきたことがあるから感じるんだけど、
原理原則を使いこなして、思い通りの人生にして、
それで本当に幸せか?って言われたら
私は「それとこれとは全然違う」って思っているんです。
実際に「引き寄せ」を経験したり駆使できたりする人はお分かりと思いますが、
引き寄せの法則で引き寄せたものというのは多くの場合、
本質的な幸福感や満足感をもたらすことはなく、たいてい、
「あれ?こんなもの?」みたいなあっけなさを伴います。
あくまでそれはスタート地点に到達したに過ぎません。
人間らしい生活ができなければ使命に向かうことなどできないのと同様に、
コンプレックスの元になっている願いが叶わないことには、その人が本来果たすべき役割に向かうことが難しいものでもあり、
その「最低限」を満たす仕組みが引き寄せの法則であるといえます。
その意味では、
「引き寄せの法則」で最低限の欲求(これは「経済的に最低限」ではなく「人間として使命を果たしに向かう気持ちになるために必要な最低限」)を満たせた人は、
いよいよその使命を果たすステージに立っているということなので、さっさとその使命に向かうのが良いだろうと思います。
本質的な喜びや満足、達成感は、その先にあります。
この方が書いてらっしゃることに全面同意で、
引き寄せの法則を使って得たものによって
本質的な喜び、つまり魂と繋がるような体験って
割と少ないんじゃないかな?と。
かく言う私も、
ミラクルを起こしてトントン拍子に引き寄せたことって
どれもこれも長く続いていないんですよ(苦笑)
その時に「欲しい」って思っていたことに嘘はないけど
実際によくよく味わってみると
あれれ?なんか違った……
という感じが、多かった印象で。
ただ、本当に欲しいものとの差異が分かったことは
すごく大きな収穫だったから良かったんだけどね。
そういった本当の欲求のズレが起きたり
先述した”変な頑張り方”をしてしまうのは
「ない」を前提とした在り方
が骨の髄まで染み込んでいるからだと思うのです。
お金が無い → お金を稼がなきゃ
愛がない → 愛されるために〇〇しよう
幸せじゃない → 幸せになるために〇〇しよう
みたいな感じ。
「ない」前提だと、叶うのは常に左側の方なので
頑張っても頑張っても何も変わらん、ということに。
でね、
この状態をどうして私たちは起こすのか?と言うと
自分の生きる意味とか
自分の人生の目的とか
どこを見渡しても、誰に聞いても分からない
自分の内にしか答えがない問い
に必ずぶつかってしまうからだと思うの。
引き寄せたいこと、叶えたいことが明確なうちは
それを得ていく過程がめっちゃ楽しいんです。ゲームみたいなもんで。
だけど、楽々とゲームをクリアできるようになると
途端につまらなくなりますよね?
で、つまらなくなると、やることが無くなる。
自分のやるべきこと、自分のモチベーション、自分の目的地が
急に無くなったかのように感じて怖くなる。
お金を得て「私、こんなに豊だ!」って言うのも
素敵なパートナーを得て「こんなにラブラブ♡」って言うのも
仕事が上手く行って「凄いことを成し遂げてるやろ」って言うのも
全部当たり前なのだから、
誇示する必要も、誰かに証明したり褒めてもらう必要も、
無くなってしまいます。
これ、ほんまに怖いです。
空っぽなんだもん。
そういった
”自分の存在の空っぽさ”に気付いてしまうことを
実は一番恐れてるんじゃないかなぁ…って私は思うのよ。
「使命が知りたい」
「自分のお役目が知りたい」
って人は、多いと思うけどさ
ほんっまに直面してみ?めっちゃくちゃ怖いと思うよ??
逃げも隠れも、言い訳もできないんやから。
んでもって、
それを実現するのには必ず超えたい壁があって
”その壁”は往々にして
自分がめっちゃ嫌なこと、避けたいこと、
トラウマや傷になっていること なのよ。笑
(最近ちょっと掴んだので実体験です)
・・・と、ちょっと話が脱線したけど、
”自分の存在の空っぽさ”というのは
本当は恐れでも、ダメなことでも、無価値でも何でもない。
でも、それを腑に落とすのには
あらゆる自分、あらゆる感情を受け入れる必要がある。
物理的な何か、目に見える何か、評価される価値基準によって
自分の存在を規定してる人が大半ですからね。
(何度も書くけど、私もだよ~)
その恐れすらも、恐れではないと腑に落ちた時
今とは違う見方をしている自分に出会えると思っている。
そうなった時に、また記事を書きたいな。
私はもうちょい、獲得ゲームを存分に楽しもうと思う!^^
味わって、体験して、本当に欲しいものが分かればいい。
変に悟らず、頭で分かったフリをせず、身体に落としながら
自分の道を歩んでいれば、既に思い通りってこと。
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