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医療ソーシャルワーカーを辞めた理由

私は数年前に医療ソーシャルワーカーを辞めました。本当に好きだった/今でも好きな医療現場のソーシャルワーク実践の仕事をなぜ辞めたのか…。きちんと残しておきたい今更ながら思ったのでまとめようと思います。

自分で言うと嘘っぽく聞こえますが、私が担当する大学での医療ソーシャルワーク実践論の授業は大人気です(笑) また、医療ソーシャルワーカーの研修会の講師を担当させていただいた際にも、「とても楽しい講義だった」「ためになる話がたくさんあった」「明日からの実践にチャレンジしてみようと思った」「また講義を聞くチャンスがあれば聞きたい」など嘘かも知れませんが、個人的にたくさんのうれしい言葉をいただき、一つ一つ全ての言葉を素直に受け取らせていただいています♪

そんな授業や研修会の終了後に、よくある質問が「なぜそんなに楽しく仕事をしていたのに医療ソーシャルワーカーを辞められたんですか?」です。今まで正直にこの話をしたことはありませんでした。というのも、心から楽しい職業だと今でも思っていますし、学生やこれからの未来を担う医療ソーシャルワーカーの方々に「こんなことで?」と思われるのも嫌だったし、「能力ないのね」と思われるもの嫌だった自分がいたからなんです…。

しかし、第一線を退きnoteで自分自身のことをきちんと書いている人が多くいること、自分のこととしてきちんと整理しようと思えてきたこと、など自分の弱い部分もきちんと整理しておきたいと思い記事にまとめることにしました。

少し感情的に書いてしまう部分もあるかも知れませんが、気になった方はご一読いただければ嬉しいです^^


退職の原因:ハラスメント

一言で言えば、「ハラスメントを受け心身ともに耐えられなくなった」からです。繰り返しになりますが、医療ソーシャルワークの仕事が嫌になって辞めたということでは一切ありません。今でも好きな職業です。

「ハラスメント」として何があったのか、具体的な時期や詳細については書くのは避けますが、事象としてあったことを以下に記載します。

医療機関では、医学を基礎とする専門職(医師・看護師・薬剤師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士など)が多い中で、社会福祉学を基礎とする専門職は医療ソーシャルワーカーのみであるという、絶対的に数値的優位には立つことが出来ない立場であることは想像にたやすいのではないかと思います。よって、日頃からその組織の中できちんとソーシャルワーク実践が可能になるように、メゾレベル(組織相手)のソーシャルワークを入職時から行い、上層部とも良好な関係を築きつつ、10年以上に渡りクライエントに対する実践はもとより、マクロレベル(社会に向けた)のソーシャルワーク活動に至るまで、しっかりと行ってきていました。※きちんと実績も積み、組織からも社会的にも表彰を受けるなどの経験もありました。

しかしながら、医療機関の仕組み/システムというのは、事務長や院長をはじめとする医療機関幹部メンバー中心の意見で一瞬で変化することも多く、その都度、交渉等を行い、きちんとソーシャルワーク実践が可能になる様に立ち振る舞ってきたということになります。

私は医療ソーシャルワーカーとして、院内唯一の福祉職として、様々なチームの一員として活動をしていました。あるチームでは業績もよく、人員も2名→3名、3名→4名、4名→5名とどんどん増員していた/ある意味とても上手く組織としてもやれていた活気ある時期のことです。人が集まれば意見の相違があることは当たり前です。メンバー内で意見の相違があっても今まではどうにか話し合いで解決できていましたが、メンバーが増えるとその相談する仕組みも変わります。仲の良い=自分の意見をきちんと聞いてくれる人を味方に付けたくなる気持ちは理解できますが、それがよい結果に導かれるかどうかは別物です。

私は意見の相違があった一方の意見を聞いていました。その方とは10年以上に渡っての仕事の付き合いで何度も一緒にお酒を飲みにいったり、意見をぶつけ合ったりする仲で、どんな話も素直にしていた感じでした。実はもう一方の方とも私は仲が良かったのですが、私に話をしていることを良く思わなかったのか、別の人に相談するようになりました。

そんなある時、私は上層部から呼ばれることになります。やり取りはかなり割愛しますが、以下の様な感じです。

上:「仲良くしている〇〇さんにはチームを抜けてもらおうと思っている…。どう思う?」
私:「へっ?なぜですか?きちんとした理由がありますか?またそれをなぜ私に話をするのですか?チームを抜けるのは反対です!」
上:「元々・・・〇〇さんの態度が良くないと思っていた。」
私:「納得できません!また、私は〇〇さんはチームに必要だと思っています。」
上:「・・・君も家族いるだろ・・・もう少し考えた方がいいよ。
私:「・・・どういう意味ですか?従え!って聞こえますが。」
上:「・・・」
私:「納得できないので失礼します。」

と部屋を出ました。                                       その翌週、私が何故か私がチームを外され、その後一切のクライエントとの関りを禁じられるようになったのです。その数か月後には、部署の移動も命じられました・・・。ショックを通り越して失望です。。。一人で出来そうなことは全てやってみましたが、全く話し合いにもならず、一方的に決められた人事…そして何より許せなかったのが、上層部からの「君も家族いるだろ…考えた方がいいよ」です。その発言をした方は、実は今までとても信頼してきた人でした。今思えば、その瞬間、心が折れてしまっていたのだと思います。当時は悔しくて悔しくて、どうにかならないかとチームのリーダーに相談&交渉したりしました。しかし結果的には、掛け合ってもらうことはなかったのです。10年以上に渡ってやってきたことがこんなことで…立場的に影響を受けやすい職種であり…自分の能力不足…一瞬で崩れてしまうなんて…などと考えたのを覚えています。

また、所属学会の調査研究で保健医療分野のハラスメント実態調査を行ったことも経験としてあり…他人事ではなく自分も当事者だったんだ…と感じたこともショックでたまりませんでした。ハラスメントは保健医療分野ではどこでも起こり得ることとして認識しておく必要が改めてあるのだということも知っていただきたいです。

チームを外された後は、出勤してもすることがありません(笑)「することがない」のが一番辛いのです。それが1年続きました。ただ、幸いにして、事情を知らない周囲の人は普通にしゃべりかけてくれていました。また、私しかわからない仕事も多かった(唯一の職種なので)ので、スタッフからの問い合わせのみはありました。その先にいるクライエントとの時間はなくてもクライエントが困らない状況になる様に考えることは出来ていました。

しかし、3か月くらいで心身ともに限界が来ていたのだと思います。好きな勉強をするようになりました。最後は有給休暇をしっかりと全部フルに使って退職しました。ちなみに、上記に出てきた〇〇さんも同じ時期に退職となりました。

最後にチームからは花をもらいましたが、家に置いておくのがどうしても嫌で(笑)子どもの幼稚園に持って行って飾ってもらったというのがオチです^^幼稚園からは感謝されました(笑)


経験を振り返り、未来を語る

苦い経験ですが、辞めてよかったと今は思えています。私にハラスメントをした人を憎んでいるか?と言われれば憎んではいません。今はその人もそう言わざるを得ない状況にいたのかも知れない。と考えるようになっています。が発言した言葉そのものがなくなるわけではないので、言葉や発言そのものを許している訳ではないこともまた事実です。

医療機関の中にいる時には感じなかったのですが、実は医療機関の中で働くというのは、思っている以上に閉鎖的な空間にいること=ストレスフルな状況なのです。医療機関を退職して/有給休暇消化中にはじめに感じたことは、「世の中って昼間にこんなに人がたくさん外を出歩いているんだ!」でした(笑)医療機関に受診にきている人を助けることも大切な仕事だけど、自分の知識や経験を活かしてもっともっと多くの人を助けられる仕事ってあるんじゃないかな…とぼんやりと考えはじめたのもこの時期です。しかし、医療にどっぷりと浸かりきってしまっていた自分は具体的に何かはその時には分からずでした。

その後、社会福祉士養成教育に携わり、現在に至るまで未来の社会福祉専門職育成に尽力しています!一人のソーシャルワーカーをきちんと育成することでその先にいるクライエント何人の役に立てるかといつも想像しながら教育に携わっています。

今後は、再び実践者としてもフリースクール運営を行っていこうとしています。聞こえが良くないのですが、起立性調節障害の娘が私のやるべき道を説いてくれたんじゃないかと勝手に思っています。実は私と娘は誕生日が同日なのです^^

「実践」と「教育」のパラレルは私がソーシャルワーカーとして活動してきた姿そのものなので、この機会を今後きちんと活かしていきたいな♪と思っています!

サムネの写真の様に…パズルは一度外れると/壊れるとショックですが、もう一度新しく作ればいいんです^^何度でも作れるんです!自分のパズルですから!!! 今度はどんなパズルが完成するのか、そこにはどんな絵が描かれているのか、医療ソーシャルワーカーの時とは違った絵になっているのが今から楽しみです♪

最後までお読みいただきありがとうございました!

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