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何かになろうとするのをやめた日/ミニエッセイ




今まで、エゴのわたしは
「何か」になろうとしてきたけれど
本当のわたしは「何か」を望んでいるわけではなくて
「自分の在り方」「どんな人で在りたいか」
ということを、大切にしたかったんだと気づいた時がありました。


何をしていたとしても

今、目の前に広がる日々を眺め
自分が愛するものを深く感じ
自分から広がる世界を自分で創造し
そして、豊かさや喜びを人と分かち合う。


これこそがわたしが本当に欲しかったもの。


「自分の豊かさ」と「自分のしあわせ」を
しっかりと感じて認めて許して
そして受け取ること。


何になろう?ではなくて、どんな人間になりたいか。

とってもシンプルだからこそ

何かになろうとすると
本当の自分が求めるものとは別の場所に
自分の居場所や役割を探しにいきやすいのです。

そして、その状態のときは
いつも何かを探しているので
目の前にある恩恵に気づかないこともたくさんあります。


でも、どんな人間になりたいかと立ち戻ることで
きっといろんな可能性が大きく広がり
今この瞬間に溢れている喜びにも気づき
選択する言葉や感情も変わり
許せなかったものさえも溶けていく。


そして雲の後ろに隠れている太陽のように
いろんな可能性が光となって
少しずつ見えてくるのだと思います。




こうしてわたしがnoteに書き始めたのも
自分の中を整理するためでもあったけれど
これまでのわたしは
書いたり書かなかったりを繰り返してきました。

わたしは何かになるために書こうとすると
書けなくなります。


本当は
文章を書く人になりたい
わけではなく
文章が書けるような生き方や在り方を大切にしたかったのです。

それは
コップ一杯のお水をゆっくりと味わうことだったり
お花屋さんで出会ったお花を愛でている時間や
思いっきり転んだ時に大笑いした瞬間だったり…


今日一日どんな自分で生きたい?
どんな言葉や感情を選んで過ごしたい?


そうすると、何気ない日常がより一層愛おしく感じ
本当に大切にしたいものが
ゆっくり見えてくるような気がします。



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