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東京ライフ その壱

1996年、4月某日午後。

杉並区は和田という街、築15年くらいのマンション、何もない部屋で、ボクは時間を持て余していた。正確に言うと「まだ何もない」、か。何の事はない、ただ単に引っ越しの荷物が届く時間を間違っていただけだ。。。

実家は宮崎、大学時代は大分、ボクの北上計画最果ての地、東京にやって来たのだ。音楽をやるために。

ココから始まる「東京ライフ」。

とかそんな格好いい事を考えてフルフルしていた記憶はないが、夢と希望にはフルフルしていた。

天気は花曇り、でもうっすらとした光が窓から差し込んでいた。

約50cmくらい。。。
後で気付く事になるのだが、この部屋のMaxの陽当たりだった。。。

とにかく何もする事がない、、、こんなときは昼寝に限る。

という事で窓際にゴロンと横になってはみたものの、、、さ、さ、さ、さ、、寒い!!

何か被るものと言っても、カーテンもない、、、モジモジして床に敷き詰められていたカーペットとの摩擦でなんとかしようと思ったのだが、背中しか何とかならんかった。布団とは偉大だと初めて気付かされた23歳の春。

寝るのは無理、かといって夕方に届く荷物が、もしかしたら早く付いてしまい、その時居ないと、東京の引っ越し屋は「マジむかつくじゃん!!だぜっ!!」とか言って怒るかもしれん。
だから外出するのも微妙。。。むぅ~~。

よしっ!!半径100mくらいならチョクチョク様子も見に戻れるし、ま、いっか、という結論に至り、まだ合鍵もキーホルダーも何も付いていない、素っ裸のマスターキーをポケットにねじ込んで外に出た。
 
マンションの敷地を出て、右に20歩ほど歩くと「大和湯」という銭湯が有った。どうもまだ営業はしていないようだった。九州に居た頃は全く入った事がないし、あまり見かけた記憶もない。

その左手には「山手ストア」というスーパーが有った。
食料関係は何とかなりそうだ。

くるりと踵を返して先を見やると、なだらかな登り坂に沿ってポツポツと商店が軒を連ねていた。中華料理屋(名前を「一番」と言った、図々しい、と思った。)、酒屋(大事だ)、タバコ屋(これも大事だ)、なんて読むのか判らない漢字の小料理屋(結局一度も行かず。。。)。

以上。。。

うおーーっ!!部屋と同様何もない!!
もっとこう、パチンコ屋とか、ビデオ屋とか、ダイエーとか、家族レストランとか、そんなのはないのですかーーっ!!

おっ、そろそろ1回様子を見に戻ろう。

こんな事を2回ほど繰り返して、空気に慣れて来たのか、いちいち様子を見に戻るのが面倒になって来たのか、ドアに「1時間位で戻ります。」と張り紙をして本格的に近所を探ってみる事にした。

さっきのなだらかな坂(と言っても実は10mくらいなんだが)を登りきって、更に道なりに真っすぐ行ってみる事にした。

住宅、住宅、住宅、墓石屋(!)、クリーニング屋、住宅、住宅、半畳ほどの露店の焼き鳥屋(おっ!!)、駐車場、、、道は緩やかに右にカーブしていた。

カーブの出口から先を見やると、おーっ!!コンビニが有る!!しかもローソンとセブンイレブンが向かい合わせで!!なんじゃそりゃ!!うーむ、やはり東京は人が多いからね。と、良く判らぬまま納得をして、先へ進む。

弁当屋、住宅、住宅、、、すると左手に!!

パーチーンーコー屋ー!!
発見!!うおーーーっ!!
ちょいと打つかね、と、しゅたたたと店の前まで行って愕然とした。。。お客が一人も居ない。。。こんな店出る筈がない(後日、ダメもとで行った所、2万円ほど勝たせて頂きました。。。が、そのしばし後、ボクが2万円も出してしまったから、、、かどうかは知らないけど、永久に閉店。。。)。
 
そしてその先を見やると、大きな道路、車がビンビンに走っているのが見えた。「ふーん、こっから先はまた今度にしよう。」とパチンコ屋の前、帰ろうと思ってふと左に視線を振ると、道路から半分地下に降りるような形、大雨が降ったらどうするんだろう的な店が。
営業は夜のみのようで、店の中にしまってる看板には「飲食楽屋」と書いてある。雰囲気的にはレストランバーだろう。
 
その店の名を「パケラ」といった。

「ほう、結構良さそうじゃない。今度は夜、外から覗いて見っぺ!!」
位に考えて、ボクは近所を探るのをやめ自宅までスタコラと帰った。

この店が、東京の暮らしへ大きな影響を与える事になろうとは、ボクはまだ知らなかった。

「東京ライフ その弐」へつづく。

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お目汚しですが、その頃のアタシの写真でも。うーん、若い!!髪がいっぱいある!!いや、今でもハゲてる訳ではないが。。。

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