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東京ライフ その弐

「東京ライフ その壱」はこちら

今回は1996年〜1998年くらいのお話。

「昼は音を出して良い。」という条件で事務所が借りてくれ、入居したマンション、一階、角部屋、窓を開けるとゴミ置き場。

音の条件は、あまりきちんと守られず、たまに隣の住人に怒られたり、誰かの嫌がらせなのか、ドアノブに女性用の下着の本当に下の方がぶら下がってたりしたのだが。。。(←あっ、ちゃんと大家に届けましたwww。)その節はご迷惑をお掛けしました、ごめんなさい。。。と、ドサッ!とクサッ!に紛れてここで謝ってみたりw。)

荷物もあらかた整理がついて、音を出し始めた入居2日後。

昼とは、一体何時までなんだろう?と思いながら、ま、陽が沈むまでだなー、と、得意のアバウトな解釈をして「ボェぇえ~っ!」っと唄いながら作曲にいそしみ、陽がとっぷりと落ちた、とある日の夕方18時過ぎ、ボクは先日発見した「パケラ」に行ってみることにした。

スタスタと歩を進め、難なく店のそばに到着。
このままスルッと店に入るのも我ながらモノ欲しげに過ぎるので、少しく看板なり外装を知ったげに観察。一旦は店の前を離れ、パチンコ屋の前に立ち、心を整える。いやっ、初めての店って期待と不安と乱れ入って緊張するぢゃん!

んで、暫し後「行くぜっ!何かあったらそん時だーっ!」と、思い切って階段をトントンと降り、両開きなんだけど、半分店の装飾で潰された扉を「ぎーっ。。。」っと開けた。

「いらっしゃいませー!」気持ち良い声に迎えられ、所在無さげにしていると、クマのように大きな男性に促されスルスルとカウンター席に。

パケラのバーテンダーだった。
というか、オーナーだった。

店と自分の相性って、カウンターに座ってバーテンダーと10分くらい話せば判るが(その頃はまだ若かったから、そこまでの確信はなかったが。。。)、それまでに経験した事無いくらい相性バッチリだった。
砕け具合、優しさ、知識の広さ、聞き上手具合、その他諸々。うーん具合が良い。
初回にして、パケラという場所が凄く気に入ってしまった。

それからは、打ち合わせや、外での用事が無い時、もしくはあってもその帰り、「ボェぇ~!」の後にはパケラに行って色んな話をする日が増えた。
常連客も皆良い人たちだった。

九州から出てきてこんなに早く心を許せる店が出来るなんてラッキーだなぁ~。と、本当に思っていた。

ボェぇ~っ&ラッキー。
刺激的な東京ライフは、時間が過ぎるのもあっという間で、ボクもすでに常連の仲間入りをしていた。

今はもっと状況は厳しくなってるはずだけど、当時もレコード会社や事務所に所属してるだけで食べて行ける訳ではないので、ご多分に漏れずボクもアルバイトをしていた。

歌舞伎町の喫茶店(このお店の話はまたいずれ何処かでw)とか、ま、色々。

で、ある時期、阿佐ヶ谷にあるカラオケ屋で夜から朝までのバイトをしていたのだけど、これがまた変な風習のあるカラオケ屋で、、、朝6時に終わった後、1時間ばかり副店長の昔ばなしを聞かなければいけなかった。。。キャバクラの女の子の話やら、ヤンチャだった頃の話やら、、、実に不毛な時間だった。。。w、しかも缶コーヒーで。。。ww、心の声は「ビール位おごれっ!!」って感じだったwww。

日々、不毛感は募り、バイト中にも暴走族が20人くらいで来て、廊下でチームの後輩らしきコをシメたり、お金を払わずに逃げたりwww、ボクは「辞めよっかなー。」と思い始めた。

でプリっ!と辞めた(笑)。

そんなある日、やっぱりパケラでそんなこんなの話をしていると、オーナーが「ウチでやる?」と言い出した。

実はそれまでも誘って貰っていたのだが、「せっかくの秘密
基地で働きたくないっすよー。アハハ。」って感じでお断りしていたのだ。

どんな店でもそうだろうけど、お客の時に感じる世界といざ働いた時に見える世界はガラリと変わる。だから、それまでは、大切にしてる場所なだけ余計に働きたく無かったのだけど、不思議な事にこの時はスルリと「やるっス!」と了解したのである。

別に他のバイトを探すのが嫌だった訳でもないし、何となくタイミングだったんだろうなぁ、きっと。
そうして、ボクはパケラのホールスタッフとして
この後、約2年働く事になるのである。

まだつづくw。 

「東京ライフ その参」はこちら。

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お目汚しアゲインですが、2001年頃の写真でもw。

30歳手前になってバンド組む頃だなぁ。。。やはり、髪がいっぱいあるw、そして一番脱色してた頃。

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