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ふとした瞬間に気付いた成長

「ありがとう」をもらえたときと回答していた

『#はたらいて笑顔になれた瞬間は?』と聞かれて、一昔前の私なら

”「ありがとう」と言われたとき”

と答えていたと思います。

それも決して間違っていないと思います。「ありがとう」と言ってもらえると嬉しいですから。

いつ成果が出るか分からない

私は主に発達障害の方が通う放課後等デイサービスで5年間勤務していました。教育(福祉)は自分が関わらせていただいているうちに成果が見えない(出ない)まま、関わりが終わってしまうことも珍しくありません。

同じ教育でも学習塾なら、「志望校合格」や「定期テストの点数アップ」など成果が目に見えやすいかもしれません。しかし、私の勤務していた放課後等デイサービスは「将来の働く力を身に着ける」ことを目的としていました。放課後等デイサービスは基本的に18歳(高校生)までが使えるサービスなので、お子さん達が高校を卒業して大学や専門学校に進学してから就職するまでを支援させていただくことは難しいです。高卒で就職する方もいらっしゃいますが、その場合も「就職してからきちんと働き続けられているか?」、「職場で上手くやっていけているか?」は分からないことが多いです。

たとえ、成果出ていた(社会で活躍できていた)としても、その頃にはサービスを利用していたときと比べると、気軽に現状報告(私たちにとっては確認というべきかもしれません)し合える状況ではありません。
そもそも、「働く力」とか「社会で活躍できている」という言葉は、定義が曖昧で、明確な指標があるわけではありません。なので、成果を測ること自体が難しいと思っています。


それはある日突然やってくる

では、私にとって、『#はたらいて笑顔になれた瞬間』とは、どのようなときか。それは、

お子さん達のちょっとした成長を感じられた瞬間

・「こんにちは」、「ありがとうございます」と挨拶が出来た
・困ったときに「手伝ってください」と言えた
・分からない問題があったときに自分から質問ができた
・時間になったら自分から勉強を始められた

進学や就職といった人生における節目ではなく、何気ない日常の中のほんの一コマ。ふとした瞬間に訪れます。それも何の前触れもなく、気が付いたらそこにあったという場合がほとんどです。

そのお子さん達に関わっていない人達からみると、とても小さなことかもしれません。ですが、それが出来なかった(課題だった)お子さん達にとっては、大きな一歩です。そして、ずっと声をかけてきた私たちにとってもそれは大きな変化だと感じます。

そうしたとき、私(支援者)は

「自分の歩んできた道は正しかったのかもしれない」

「このまま信じて進み続けても良いのかもしれない」

と思うことができます。
本人達からは「〇〇さんのおかげでこれが出来るようになりました。ありがとうございます。」と言ってもらえなくても(そもそも本人達には出来るようになったという実感はないでしょうし、ましては私たちにサポートされたからとは思っていないでしょう・笑)、お子さん達の言動(成長)を見られるだけで、自分のこれまでの関わりが認められた気がして「嬉しい」と感じると同時に「安心」するのです。
そして、彼にとってのふとした瞬間に私たちとの日々を思い出してくれるのならこれほど嬉しいことはありません。

もちろん、自分たちの”おかげ”で成長できたなどと傲慢なことを言うつもりはありません。本人達の努力を筆頭にご家族、友人、学校など様々な要素が関係しています。私たちの影響は限りなくゼロだったかもしれません。もしかしたら、私たちが声をかけていなくても勝手に成長していたかもしれません。
だけど、この ふとした瞬間が訪れたとき、私は「人の成長に携われるこの仕事をしていて良かった」と感じていました。

これが私の 『#はたらいて笑顔になれた瞬間』です。


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