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面接の内容・・・2次審査(52歳の田舎のおばさん留学期6)

(写真は、この面接当時2017年1月に面接会場に向かう道すがら、「すげー!東京って、こういうところもあるのかー!」みたいな感じで、これまた”おのぼりさん”状態で、興奮して撮った1枚。駅の周りの様子とかも撮りまくって夫に送ってた。アメリカとかに行く以前の問題。)

書類を提出すると、すぐに合格通知が来た。小躍りして、2次審査の面接準備をした。生まれてからこの方、日常的に英語話者と接する機会はほぼなく、この頃の話す練習はオンライン英会話のみだった。
今回は、面接の内容を中心に紹介します。

このシリーズでは、「52歳で、日本の田舎に住んでて、主に子育てと介護で”表舞台”からは隔絶されていたおばさんが、突然単身アメリカ留学すると何が起こるか?(ちなみに途中脱落帰国。2017年のこと)」ということを、英語学習面ではなく(それも少しは書くけれど)、生活面の視点からちょっと紹介します。誰かに何か参考になるかもしれないなー、というのと、ようやく振り返る気持ちになってきたので、自分のまとめを兼ねて書いています。思い出し思い出し書くので、たまーにという感覚で、ながーい期間をかけて、書こうと思っております。時系列も前後するかもしれません。

面接の内容についての情報は皆無だし、英語面接などしたことなかったので、おそらく相当ビビっていた。が、「合格」というのは、なんでも嬉しかった。人生を振り返ると、「合格」や「合格した気持ち」になったことはごくごく少なく、「あ〜あ」な50うん年だったので、浮かれ気分もかなり入っていたと思う。

当時やっていたオンライン英会話のフィリピン講師が熱血タイプだったので、「かくかくしかじかで、こんな感じなんだけど、面接の練習してもらえるかなぁ」と言ったら、二つ返事でOKしてくれた。「ちょっと待って、まーみ。あなたの話を聞いてたら思い出したんだけど、私、前に同じ財団を使って合格してアメリカに行った中国の人、教えたことがある! 彼女も面接受けてたから、ちょっと、どんな内容だったか、聞いておくわ」
ここの財団は、当時、日本と中国からこの奨学システムを利用する人を募っていた。
この英会話講師には、もう、めちゃくちゃお世話になって、今も心から感謝しているのだけれど、そのいろいろは、別の機会に書く。

そして、リサーチしてくれた彼女曰く「なんかね、模擬授業をやらされるらしい。短いらしいけど。あとは、アメリカに行って何を勉強したいか、とか、そんなことを聞かれるらしいよ。とにかく中国の彼女は、模擬授業が、模擬授業が・・・!って、何回も言ってた。模擬授業は英語を使わないで、母語でやるんだって」

模擬授業か・・・
できる気しかしない
そこは多分、全く大丈夫だ。それよりも、私は英語の質疑応答なんだ!

ということで、実際の面接内容は下記のような感じ。
面接は会場で2室で行われた。
1室は、財団の事務系のスタッフ(日本人とアメリカ人の計2人)と。英語3割日本語7割の印象。
内容は、希望するプログラム(1年か2年か。日本語を教えるだけでいいのか、学位欲しいのか、など)、大学で勉強したいこと、どんな大学を希望するか(3次審査のマッチングで使われる)、家族は賛成しているか(特に若者は家族の反対でドタキャンなどがあるらしい)などなど、このプログラムを利用するにあたっての意向調査、といったところ。
もう1室では、アメリカの大学で日本語教育に携わっている教授陣による面接(日本人だが、アメリカ在住のアメリカの大学の先生3名と、やはり財団のスタッフアメリカ人1名・・・だったかなぁ〜〜、4、5人いたような)日本語5割英語5割。ただ、受験生に応じて使い分けている印象もあった。
ここが「模擬授業」をさせられるところ。英語の出来より、講師としての素養を見ているようだ。あとは、自分の強みとか弱みとか、そんな話もさせられた記憶が。
トータルすると、「英語力」は、アメリカの大学側が求めているTOEFLなどで保証されるとして、面接は、アメリカの大学に日本語講師として送り出すのに相応しいかどうか(日本語の授業の仕方のサマースクール7週間も受けるのだが)を判断するものだったと思う。後から考えると。

実は私はこの面接で初めて、「Educational Psychology」(教育心理学)という言葉を聞いた。教育心理学という分野があること自体知らなかったのだ。
アメリカの大学で学びたいことを、あーだこーだ苦心して話す私に向かって、「つまりあなたはEducational Psychology的なことをやれればいいんでしょ?」と言われ、エ、エジュケイショナル・・・Yes! Oh, yes! おおそうか!私のやりたいことって、教育心理学だったのか!と初めて知った。
井の中にいると、何も知らないで生きてしまうものなのだなぁ。
私が自宅敷地内の狭い塾小屋(教室)の中で、授業の後(およびほぼ起きている間中)、授業内容についてあーでもこーでも考えてたのだが、あの内容って、教育心理学だったんだ。
そういうことがわかっただけでも、ここにきて良かった。
これが「表舞台」というものなのだなー。などと思ったものだっ
た。

模擬授業の課題は、書いちゃいけなかったかもしれないので伏せておく。先生方を生徒に見立てて、授業を行う。
私は、今思えば恥ずかしい内容だけど、楽しくそれをやった。後、面接官から「さっき、あなたは自分の強みを”分析力のあること”と言ってましたね。今授業を受けていた私たちを分析してください」と聞かれた。私は一人一人の状況が見えていたので、全員について、問題点と今後対応すべき点などを答えた。
面接官が「あなたのような教える力がある人ばかりならいいんですが、応募してくる人の中には、英語はできても、教える力のない人も多いんです。それで、こんな面接をしているんですよ」とも。

渡米してからだいぶ経ってから知ったことだったのだが、私がマッチングされた大学からの要望は「とにかく教える力のある人!」ということだったらしい。まさしくそこにマッチングされたのだった(教育心理学もあったし)。どうしてその大学はそういう要望を出したのか、私がその大学に行ったのはラッキーだったのかアンラッキーだったのか、それを知るのも判断するのも、もっとずっとずっと後のことになる。

面接は終始和やかなムードで行われた。面接官は私より年上の人は一人か二人。きっとそんなこともムードに関係していたかもしれない。

アメリカに渡って、同じ合格した仲間と話すと、多くの人が「面接はきつかった」と言っていた。模擬授業で一言も喋れなかった、と言っていた人もいた。たしかに、面接を待っている廊下で面接室から流暢な英語が聞こえてくるのに、あるときピタッと何も聞こえてこないこともあって、「なんだろう・・・?」と思ったことを思い出した。
面接は、4日ほどの日程に応募者が振り分けられて行われるのだが、面接会場で私と言葉を交わした人が合格していないかな?と思って、合格後に周りの人に聞いてみたのだが、誰もいなかった。同じ日に受験した人すら、私は見つけられなかった。

私は面接の間中、緊張はしているけど、楽しくて幸福で、「ああ、面接官が、”人生で最も喜びを感じたのはいつですか?”と聞いたら、”それは今です!質問に答えている今が最高です!”、って答えるのにな〜」とまで思っていた。
介護と子育てと自宅敷地内の塾をぐるぐる回るだけ。介護していた義父から夜中も含めて電話でいつ呼び出されるか分からない日々を経験していた私には、上記の写真のような街を歩いて、アメリカで教鞭を取っている方達と話すという体験だけで、片足爪先立ちでクルクル回りたいほど、嬉しかった。

最後に、アメリカ大学での日本語講師陣に「何か質問したいことありますか?」と日本語で聞かれ、口籠もった。
私は、なんとか合格することばかり考えて、自分の要求したい条件などを考えたことがあまりなかった。
そして、英語で話すことばかり心配して、もし英語でそう聞かれた場合に備え、自分が話せる英語で簡単にやりとりできる質問だけを考えていた。
仕方ないので、それを日本語で聞いた。
「私のノートパソコンがもうすぐ壊れそうなんですが、渡米するにあたって、Windowsを購入すべきでしょうか。Macを購入すべきでしょうか。先生方のパソコンはずらっとMacが並んでいますが・・・」
「平和な質問だなぁ!!」と一同の笑いを取った後、
「Macです」「え?!そんなことないよ!私はWindowsだよ!!」「心理学系の人はみんなMacです」「え!そんなことないよ!」という先生方のワチャワチャを楽しく眺めて、Windowsから宗旨替えしてMacを買おう、と思った。これまた、この判断が良かったのか悪かったのか、アメリカに行って考えることになる・・・(いつか書く)

そうして、3週間ほどしてからか?
マッチング成功です!(3次審査通過)の通知が来たのだった。

教訓11;歳を重ねる中で得た経験がものをいう奨学プログラムもある
教訓12;52歳で受験すると、面接官は当然同世代かそれ以下。うまく作用すると楽しい(逆もあるでしょう)。
教訓13;あたりまえのことなんだろうけど、あなたは何を望むのか?もしっかり考えておこう。主体的になることは、渡米前から必要で、その「姿勢」がないと、後からきつい思いをする!(さんざん言われていること。わかっていても、うっかり足元すくわれる!いつか書く)主体的、というのは、声を出す、とかじゃなくて、「私は何を望むのか?何を望まないのか?」をしっかりはっきりさせておく、ということ!!
(教訓で長文書いちゃった)


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