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(つづき)日本語初級を、カンボジアから来ている人に教えて気づいたこと(結構たくさんあるので吐き出し)2

(前回の続きです)
今回の学習者たちが小学校へ入学したと思われる1980年代〜2000年頃のカンボジアの教育制度へと、私がだんだんと知識を深めていく様子を書いています。

4.針のある”時計”が読めない人がいる? 午前と午後の概念がわからない人がいる?

一緒に学んで、数字は結構すらすら読めるようになった。
デジタル式の時計や、チラシにある”時刻”は読めるし、わかっていた。
ところが、『みんなの日本語』でいえば4課あたりにでてくるアナログ式の時計の読みで、大苦戦した。数字がわかるのだから、この項目はやる必要もなくスッと進むだろう、と授業計画を立てていたのに、大ハズレである。
これは、数字の問題でなく、針のある時計の読み方がわからないのかもしれない(日本の子どもにも最近はそういう子が増えたと聞いたことがある)。と、大苦戦の授業が終わってから気がついた。
午前と午後の概念の説明が必要な人もいて(9人中3人くらい?)、大苦戦中の私はわかるように工夫しながら説明はしたが(「はあーん」と一応わかってもらえた・・・)、よく考えてみれば、それって、自国で理解されているはずじゃね?と、これも後から気がついた。
ChatGPTさんに聞くと、カンボジアでももちろん、午前午後の概念はあるが、日本に比べると生活の中ではあまり使わなくても済む人もいる、ということだ。

5.クメール語(カンボジア語)の『みんなの日本語』(その言語の人のアンチョコ集)は、日本では取り扱いがない

(それにしても、『みんなの日本語』のラインナップはなんとかならないのか!手に入れなければならない本が多すぎる!怒・・・失礼しました)
単語を予習してきて欲しくて、何の単語が出てくるか示すために、クメール語の『みんなの日本語』翻訳・文法解説書を思い切って買った。メルカリで。(カンボジアを行き来する人が出品してくれていた)
ちなみに、ここに書いてある文法事項はすごく参考になるので、英語版のアンチョコ集を買い、それを読んで、教科書会社は何をどう説明しているかを理解している(ネットの教案も参考にするが)。

クメール語版と英語版

6.もしかして・・・クメール語(カンボジア語)も、少し難しくなると読めない・・・?

授業は、オール日本語の直接法で教えているが、どうしてもクメール語が欲しくなることがある(前掲の初回の授業のPPTなどにも使っている)。アンチョコ集の文法のページも目を通しておいてほしい。先日は七夕だったから、七夕の説明もChatGPTさんと何度もやり取りして(日本語とクメール語の変換を繰り返して、より正しくわかりやすくする)作った。

画像は、あちこちからもらっております。ボランティア授業内だけで使いました!

しかし・・・
もしかして、少し複雑なクメール語を読めない人がいる⁈
そう考えるに至った理由はいくつかある。

①義務教育の不整備という背景
名前の問題で深く反省した私は、カンボジアについての基礎的知識の不足を感じ、カンボジアの歴史や文化、彼らが自国で受けた教育について、調べた。
調べれば、あちらこちらに書かれているので、出典は省略するが
カンボジアはポル・ポト政権時の1975年から1979年に大虐殺が行われ、知識人も多く殺され、また、教育制度も破壊された。
その後、1980年代から教育制度は整えられていってはいるが、知識人の人材不足やその他の事情があり、すぐには良質な教育がなされていない
前回の記事で紹介した『僕たちは世界を変えることができない』に出てくる学校を建てるプロジェクトも、これらの経緯の中で生まれたものだ。
(ちなみに、この映画で、ポルポト政権がどのように子どもを殺したか、現地の人に話を聞くシーンがあり、私はあまりのショックで、映画の他の部分のほとんどを忘れた)
私と一緒に学習している人たちは、30代以上なので、だいたい小学校の入学が、1980年代から2000年頃ということになる。
ポルポト政権は終わり、教育制度が整い始めた頃ではある。
しかし・・・
次の資料は、外務省が出しているものだ。この資料が参考にしている元の資料は、ざっくり1992〜2003年くらいのデータのようで、つまり、学習者の就学時期と重なる。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/kunibetu/gai/cambodia/ej99_01_0406.html#:~:text=国民の約40%,つと位置付けられている%E3%80%82

そして、これによると、この時期、中学校へは全体の12%しか就学していない。小学校への就学は、遠隔地の農村部になると、50%以下になるという。さらに、女性は男性に比べて、教育を受けられない状況があるようだ。
これは就学のデータであるから、卒業になるともっと少なくなるだろう。
彼らの置かれて来た教育環境について考えると、少し複雑な文が読めないということは考えられるのだ。
(「識字率」というデータもあるが、調べると、「生活の中で使われる簡単な文字を読める」という基準のようであり、それがどの程度なのか、私にはわからない。現在は識字率90%というのがカンボジア政府の発表のようである。だからきっと、簡単な文は読めるはず。)

②クメール語(カンボジア語)を示したときの反応が、ものすごく薄い!
私は、「ChatGPTは便利だな〜!」などと言って(DeepL翻訳にクメール語はない)、大得意でクメール語を使っていたのだが、どうもそういうときの反応が薄い・・・。上記で書いた『みんなの日本語』のクメール語版の一部を渡しても、反応が薄い。
そして思い出してみると、少し長めのクメール語を見せると、誰かが大声で読み上げるのだ。
「声に出して読んだ方がわかりやすいのかな?」と、初めは思っていた。
「ん? もしかして、読めない人のために、読み上げているの・・・?」と思いつく。
9名もいるので、世話焼きの性格の人はいる。
”できない”人が、答えに詰まると、すぐに教えてしまうので、
それがあまり続いた時には、私が制したこともあった。
あれ、もしかすると、十分に教育を受けられなかった人を心配してフォローしているの?
そう仮定すると、いろいろと合点がいくシーンが浮かぶ。
ちょっと待てよー
クメール語を読むのもおぼつかない人たちに、日本語を教えている状況⁈
時計や、午前午後の問題も、そういうことかもしれない⁈

ただの疑念だが、今、ここまで考えるに至っている。これから何かわかってくることもあるかもしれないが、とにかく、「そうかもしれない」ことは、頭の隅に入れておく必要がある

7.話題にしてはいけないタブーはあるのか?

日本人はすぐ年齢を聞くが、失礼だ。とか、容姿のことを言うなんて信じられない。某国の人には親の職業を聞いてはいけない、貴賎の考えがあるから嫌がる人もいる。宗教や政治ネタはタブー。など、今までそのような話を耳にしたことはある。
カンボジアはどうなのだろう?
とりあえず、年齢をいう学習事項は軽くして、自分の年齢は言わせないようにした。同じ職場の人同士、どこまで自分をオープンにしているかはわからないが、勝手にズカズカ踏み込むのもな、と思う。
『みんなの日本語』に「お国はどちらですか?」「うちはどちらですか?」という表現がある。「うちはどちら・・・」は国の中の地方などを語らせる意図だ。
しかし・・・。前述のポル・ポト政権の虐殺があった地域など、重い歴史を背負った地域もあり、これは聞いても良いものなのか?悩む(聞いてない)。
また、学校の時間割も全体に対して問いかけはしたが、一人一人にはあまり聞かなかった。前述したように、学校を卒業していない人がいる可能性もあり、言いたくない人もいるかもしれない。(わからない)あとで、「〜〜の近く」など、ぼやかせる表現が出て来た時に扱う予定にしている。
クメール語、という表現もどうなのか。カンボジアにはクメール族だけがいるわけではない。日本では、クメール語とよく表現されているが、学習者たちは「カンボジア語」と言う。
気にしていたら、キリがないが、
なるべく居心地が良い教室を目指しているので(彼らにとって日本の「居場所」であれるように)、あまり余計なことはしたくない。それでも、学習内容を十分保証する方法はあるはずだ。
もう少し、彼らの日本語能力が上がって、いろいろなことが話せるようになっていけば、そんなことも、話題にできるかもしれない。

8.でも、日本で勉強している。イエ〜!

初回の授業が終わった時、「せんせい!しゃしん!」と言って、私と二人になって携帯で自撮りする学習者が多かった。
はしゃいでいる。
これは、記念写真なのか・・・? 
まだ授業は始まったばかりなのだが・・・。
と、若干困惑しながら、カメラに収まる。
観光的な?
そうだねぇ。
彼らにとって、ここでの学習は人生において、どんな意味を持つのだろう?
今は、何もかも珍しい時期なんだろう。
似たような仕事をしているベトナム人の「寮」の中の写真を見せてもらったことがあるが、なかなか大変な環境である。
自転車も2台くらいを30人くらいで共有し、あとは、徒歩である。
労働時間も長い。
それでも、日曜日は、立派な建物で学んでいる。
その高揚感はあるのかもしれない。



日本語を教えるだけでない。
共に学ぶ場である。






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