『No.1』とは、他者依存
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2021年11月25日(木)に配信スタートしたバチェラー・ジャパン シーズン4は
1人の男性を15人の女性が争うAmazon Prime Video の人気婚活サバイバル番組です。
このNOTEでは、バチェラー・ジャパン シーズン4の参加者の1人である桑原茉萌さんの言動を参考に『No.1』とは実は『他者依存』なのではないか、ということについて考えます。
✅1、桑原茉萌さんの言動(エピソード1)
『どうせ、私がNo.1』というキャッチコピーが印象的なインフルエンサーの桑原茉萌さん。エピソード1の言動からもNo.1にこだわってきた様子がうかがえます。
また、過去にメディア露出も数回あるようです。
✅2、『No.1』とは比較。そして、比較には他者が必要。
さて、『No.1』ということについて考えていきます。
『No.1』がいるということは当然『No.2』や『No.3』がいるわけです。
『No.1』とはある基準に照らし合わせて順位を付けることです。基準に照らし合わせるとき、照らし合わせる要素は複数存在していなければなりません。1つの要素しかないのであれば、1番ということに意味はないからです。つまり、『No.1』とは比較概念なのです。
当然、比較するためには比較対象となる他者の存在が不可欠になります。自分ひとりだけしか存在していなければ『No.1』もクソもありません。
『No.1』という比較は、暗黙的に他者の存在を前提にしています。
他者の存在がなければ比較できないという意味では、『No.1』とは他者に依存しているということになります。
オリンピックの舞台を想像してみてください。表彰台の1番上で金メダルを獲得した選手の横には、必ず2番目3番目の選手がいます。2番目3番目の選手、その他大勢の選手が存在しているからこそ、1番目という存在が成り立つのです。
『No.1』を目指している方は競争心溢れる方が多く、ともすると競争相手を非難する方も見受けられます。
『No.1』を目指す以上、他者の存在に依存しています。依存先の存在を非難してもメリットはありません。仮に非難し続け相手がゲームから降りてしまったら、比較対象の存在がいなくなってしまいます。比較対象がなければ1番目は成り立たなくなってしまいます。
✅3、『No.1』を意識しすぎるとユニークな存在にはなれない
前章で記載した通り『No.1』とは比較概念です。比較するときは、必ず他者がいます。
ということは、その他者が1つの基準になります。
例えば、自分が営業部で『No.1』になろうと決意したとします。営業成績No.1の同僚がおり、月間成績は500万円だったとします。その人物を基準にすると、おそらく月間成績は500万円前後で落ち着きます。500万円が基準になっているからです。『月間成績を十倍の5000万円にしよう』という発想や『そもそも営業部の『No.1』とは月間成績だけでなく、○○ということ要素としてある』といった発想は生まれにくくなります。月間成績は500万円がある意味バイアスになります。
早く成長していくために、具体的な目標人物をおいてそれを目指すことはとても有効な手段だと思います。しかし、その人物を目標にするということは、当たり前ですがその人物が基準になり、自分はその前後で落ち着いてしまう可能性が高くなります。
それが良い、悪いということを述べたいのではなく、比較とはそういうものだと言いたいのです。
✅4、まとめ
『No.1』とは、他者の存在を前提とした他者依存の概念です。他者がいなければ成り立たないものであるため、他者がいなくなってしまうような行為は得策ではありません。自分が『No.1』の領域であっても、それはあなたより下の他者がいるからこそ成り立っているのです。その他者がおいしい思いをできるようにしなければ比較対象である他者がいなくなってしまうかもしれません。
また、『No.1』を目指すことはとても素晴らしいことだと思いますが、他者に依存しすぎてしまうとユニークな存在になりづらい性質があることは押さえておいた方がよいでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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