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映像作品を知らないままシン・エヴァンゲリオンOSTを聴いて

まずは、この音楽について書く前に言い訳が続くことをお許し願いたい。

私は四半世紀ほど「オタク」として生きてきたが、端から映像ないし画像作品にはほとんど関心が向かない。ゲーム一筋である。

アニメや映画に(そして漫画にも)気が進まないのは、視覚情報が一方的に飛び込んでくるのに痛みを覚えるためである。実体ではなく媒体に長時間晒されることへの抵抗が非常に強いらしい。

もちろん自分のホームであるゲームにも映像はたくさん出てくるが、コントローラーで操作して自分で制御(心の準備)ができる。ただ、あまりにムービーばかりだとつらくなってくる。

だから信頼できる人間からアニメ類の面白さについて話は聞いても、原典に自ら当たることはない。とにかく苦痛が先立ってしまうからである。

したがって当OSTについてもサブスクライブしているSpotifyから聴き、物理メディアは購入していない。音源以外の手がかりは、田中刑事のフィギュアスケート演技とエヴァンゲリオン履修済みの姪から得た極めて初歩の知識のみである。

前置きが長くなってしまい申し訳ない。それだけオタクなのにも関わらず、フィギュアスケートがきっかけで楽曲に興味が湧いても「原典」には当たれないという事情をご了承いただきたかったのである。

ようやくアルバム1曲目「paris」である。こちらはちょうど田中刑事がショートプログラムに採用した曲である。入口が見えた。

孤独なギターで始まり、その滲んだリフレインと複雑に爆ぜるソリッドなリズムが織りなす影を帯びた楽曲である。

そして中盤に差し掛かると、不意に聴く者をアスファルトの深い裂け目に突き落とす。(なお、この陥穽はスケート用の編曲では省略されている。)

不条理の奈落。

ここで履修済みである姪からの言葉を思い出す。「エヴァは観れば観るほどわからなくなる、議論が深まる作品」であると。

以降、全体的には重厚でありながらどこかしら儚げなオーケストラ・サウンドである。歌曲にもクラシカルな抑揚がある。

もちろん壮大な世界観ということはバラエティにも富んでおり、軽やかなカントリー風や切ないバラード、妖しくうねるジャズ、鋭く泣き叫ぶエレキギターが主役の楽曲なども包容している。

当然いわゆる「アニソン」に該当すると思われる歌も収録されている。耳に心地よいふんわりとした曲調で重い内容の詞が乗せられている。かつ、そのボサノバアレンジもあり抜かりがない。

個人的にはピアノ曲を自分の手で弾いてみたくなった。難しいのだろうが、鍵盤を通して触れてみたくなる柔らかな沈黙がある。

エヴァンゲリオンから一歩引いたスタンスを持つ者でも、この梁と柱が堅牢で残響が蠱惑的な音楽はそれ自体で独立して聴くことができた。おそらく作曲家も練達のみならず感覚を新鮮に保てている方なのだろう。

もし何も知らない状態で聴こうとする際にはアルバム冒頭の奈落には注意されたい。しかし、そのままトラックを進めて身を委ねていけば安定感のあるオーケストラを中心に自然と「どん底」から「天界」へと浮上していくことができるので安心していい。

むしろ「エヴァンゲリオンだから……」と恐れ慄く必要はないと思われる。むしろその理由でこの趣味が良いサウンドトラックを見逃すのは余りにも惜しいと言えるだろう。

また個人的に、この偉大なアニメ音楽を通しで聴いて改めて気づいたことがある。

アニメや映画には最初から音源に制約はなかったはずで、初めから生演奏がほぼ当たり前であった。

しかしゲームは、音楽について尋常ではないハードウェアの制限を数々乗り越えてきた歴史がある。その厳しさを背負いながら進化してきた古今東西のゲーム音楽のことを、映画音楽やアニメ音楽の劣化版と(思われても致し方ないが)言わせたくはない。

ハードウェアの進化に伴って成長した現在もなお、オタクとしての私はゲーム音楽が一番好きであることに気づかせていただいた。