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全日本フィギュアスケート選手権2021と山本草太、或いは応援と重圧について

僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
(高村光太郎「道程」)

山本草太のスケーティングは透明な音楽です。彼が滑った後ろから道は造られ、色とりどりの楽曲が付き従いながら流れてゆきます。私の眼にはそのように映ります。心を掴まれた所以です。

そこで、たかだか1ヶ月ほど前に彼の存在を捉えた新参者ではありますが、オリンピックを控えたここ一番の勝負の場について画面を通して目にした幾つかの瞬間とそのとき思ったことを記録に残します。

ショートプログラム「Yesterday」

大舞台の中に己を立たせているという自覚が演技を着実に開花させていきます。もがき苦しむ感情を解き放ち積年の滞りを華麗に蹴破り、光降り注ぐ未来へより歩みを進めていく静かな自信が胸を打ちます。立て襟が引き立たせる横顔も凛々しく、眼眸は鋭くも澄み切った意志を宿しています。長きに渡る戦いを制した漆黒の騎士が現れました。ショートプログラムの得点は93.79で第4位につけました。

フリースケーティング「Io Ci Saro(これからも僕はいるよ)」

ジャンプの不調がつくづく惜しまれます。冒頭の転倒を引きずったのは、自分がこれまで観てきた試合では無かったことでした。ここに全日本選手権の特別性を窺い知ることができました。けれども潰れることなく最後まで背筋を伸ばし前を向き直し、手足の末端まで行き届いた気品ある所作で壮大な楽曲に身を委ね彼らしい繊細な滑りを貫きました。フリースケーティングの得点は146.39の第12位、総合得点は240.18の第8位で終わりました。

なお上段で「惜しまれます」と書きましたが、その中に失望などのネガティブな感情が無いことは強調させていただきたいです。むしろ、関係者のみならず顔の見えない不特定多数の期待や応援を選手としてあまりにも「誠実」に受け止めてしまわれた姿に哀しみを覚えました。

かたや自分は誰からも期待や応援をされないまま孤独に育ちましたから、幼い頃から受けてきた周囲の後押しがプラスをもたらす一方で重圧から反射的に身体を固くさせてしまう作用を上手く理解することができません。

ゆえに彼の演技に出会ってからの自分は、ひと月あまりフィギュアスケートについてウェブというオープンな場で小さいながらも魅了された様を容赦なく書いてきました。こうしたことも周り巡って、もしかしたら「プレッシャー」に加担してしまったのかもしれないと考えると僭越ながら申し訳なさが込み上げてきます。

せめて願うのは、期待に応えたいという真摯な気持ちに身体が強く揺さぶられたことを内心で「実力不足」と自分を責めないでいただきたいということです。己の中でフィギュアスケートに関する課題が綺麗さっぱりなくなった時が本当の終了なのではないでしょうか。

それにしてもなぜ私はフィギュアスケートという競技に目を奪われるのでしょうか。彼が出場しなかった大会も含めて考えてみますと、闘志と芸術とのせめぎ合いから生まれる静謐で壮絶な美にあると思われます。

猛者揃いの状況で幕を開けた全日本選手権2021はそれらが激しくぶつかり合う舞台の極北に位置します。競技会ですから脇目も振らず野心ここにありという姿勢を剥き出しにすることが、最短距離で他の選手への牽制にもなり有利に働き得ます。

ところが山本草太が思いのままに造る「道」はそのような焦燥を溶かしてしまいます。なぜなら、彼の演技は決して負け知らずというわけではないですが、嫉妬や挫折に翻弄されてもなお黙しては立ち上がる不屈を絶やさず、何者にも代え難い透明な音楽をずっと支えてきたからです。

しかし、通常は導き手であるはずの音楽を背後に吸い寄せるスケーティングは「その先」を空気として感知しにくいという「危うさ」と紙一重でもありましょう。

将来を嘱望された矢先に悲劇は起きました。

2021年の当選手権でもなお、マスコミ等は2016年に降り掛かった右足首の大怪我と翌2017年の当選手権における奇跡的復活という「一大ドラマ」を山本草太の代名詞として紹介していました。

しかし、彼本来の滑りにはそのような物語をも音楽として織り合わせ後ろへと流していく包容力があります。さらに今は「自分の未来」という指標を視線の先に確実に捉えています。

ここからは過去の厄災が遠く霞むほどの演技が積み上がっていくことを、黄色い声援の影から祈念せずにはいられません。