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[#1]なぜこんなに迷うのか

「方向音痴」と言うにはつらすぎる日々

道を覚えるのが苦手だ。待ち合わせも苦手だ。迷うのがつらいので、いつからか外出が億劫に感じるようになった。私の行動範囲は限定的で、基本的に同じ場所にしか行かない。しかし社会人である以上「ここから出たくありません」「その場所には行けないです」と言うわけにはいかない。リモートワークが実現しいくぶん楽にはなったものの、指定の場所と時間にさっそうと現れ、涼しい顔をして仕事をする必要がある。

しかし、そういった悩みを口にすると「実は私もひどい方向音痴で……」と自己申告する人は思いのほか多い様子。目的地を目指すことに苦手意識を抱いているのは、どうやら自分だけではないようだ。

方向音痴とはいったい何なのか。「方向音痴」をWikipediaで検索してみると以下のとおりである。

方向音痴(ほうこうおんち)は、方向・方角に関する感覚の劣る人のことをいう。音痴が変化してできた言葉。方向感覚だけでなく空間に対する認識の能力に対しても使うことがある。

方向音痴は、自身のいる位置を見失いがちな性質のある人のことである。人間は主観に於いて相対座標(自分を中心とする座標系)で周囲の場を把握しているが、これにランドマークの位置などを頼りに地図上の地理座標(地理を基準とする座標系)との相関性を見出すことで自分自身の位置を推測する。ある程度訓練された人であれば時刻と太陽や星・月などの天体の位置関係から方角を見出すことができる。

しかしこういった方角を知るための訓練が十分ではないか、あるいは地図やランドマークを十分に把握していない場合、さらには自身の基準となる位置を誤って把握している場合などに混乱が発生する。方向音痴と表現される場合には、方角を周辺状況から判断することを苦手とするか、あるいはせっかく周辺から必要な情報を得ても誤って判断してしまい易い、更には地図の上で周囲の地形を元に現在位置を見つけることが下手であることを意味する。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ふ~む。腑に落ちるような、落ちないような。どうもしっくりこないのだが、方向音痴を自覚している皆さんはいかがでしょうか。

私の場合は、地図を見ながら丁寧に道順をおしえてもらっても/何度も訪れたことがある既知の建物であっても/何年も住んでいる馴染みの街であっても、目的地までの道のりを脳内でイメージするのが難しい。目的地までスマートにたどり着くことができないし、毎回さまざまなバリエーションで迷いまくる。実際にどのように迷うのか、ふたつほど事例を挙げてみよう。

<CASE:1>新宿三丁目駅から「コマ劇場(現:新宿東宝ビル)」を目指して新宿御苑に着いてしまう

その昔、新宿コマ劇場(現:新宿東宝ビル)という映画館があったのだが、同劇場は友人らと学校帰りに頻繁に訪れる馴染みの場所であった。そんなある日、放課後のバイトが長引き集合場所となっていた学校に戻ることができず、一人で劇場に向かうことになった。劇場に一人で向かうのはこの日が初めてだった。歌舞伎町に向かえばよいことは分かっていたし、建物のイメージもできていたので目的地にたどり着く自信があった。自信があったというよりなんの疑いもなかった。しかし到着したのは新宿御苑だった。「あれ?」と気が付いた瞬間、側頭部を強く殴られたかのような強烈なめまいを感じてよろめいた。約束の時間から10分が経過していたため焦っており、額や背中を冷たい汗が流れるのを感じた。焦りと恐怖で手が震え、携帯電話のボタンが押せなかった。自分がいる場所がわからず、どちらに向かえばよいかもわからなかったため、タクシーを拾って劇場に向かうことにした(約束の時間から30分以上遅れて到着したにもかかわらず、優しい友人はハチ公のように忠実に約束の場所で待っていてくれた)。上映中は、自分が直面した恐怖体験に加えて「なぜここまで豪快に間違えたのか」が気になって映画を観た気がしなかった。スマホもGoogleもなかった26年前のことだが、この日のことは今でも鮮明に覚えている。また、この出来事が方向感覚に違和感を覚えるきっかけとなった。

<CASE:2>JR目黒駅から徒歩で恵比寿ガーデンプレイスを目指して、白金台に着いてしまう

目黒駅から徒歩で恵比寿ガーデンプレイスに行こうとして、白金台に着いてしまったこともある。かつて白金台駅の周辺で暮らしていたことがあり、白金台~目黒間を徒歩で移動したことが何度もあった。また、仕事での訪問を含めガーデンプレイスには200回以上訪れており、私にとって恵比寿は非常に馴染みのある場所で文字通り「庭のような場所」だと豪語していた。代官山や中目黒、渋谷といった恵比寿周辺に位置する街の知識もあり、目黒駅からの位置関係も理解している(と思っていた)。にもかかわらずたどり着いたのは白金台である。ショックのせいか血の気が引いたような感覚になり気分が悪くなった。

▲どのように迷ったかを記録していた。見えにくいが赤いボールペンで移動経路を記している。「✕」と書かれているのは誤って歩いたルート。だいぶうろうろしている。

違和感の蓄積

学生の頃は友人らと共に行動することが多かったため(思い返すと怪しい行動はたくさんあるものの)、迷うことに対して強く意識することはなかったように思う。しかし社会人になって一人で移動しなければならない機会が増えてからは、ここで挙げた2つの事例のような出来事が日常となっていった。そしていつからか、「なぜこんなに迷うのか。方向音痴によるストレスにしては、度が越している気がする」という違和感が、道に迷うたびに炭酸水の泡のごとく湧き上がるようになっていった。

TEXT_みむら

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