ギリシャでの一日(いけすかないお店編)②
目的の店はすぐそこ、歩いて5分ぐらいの場所に居を構えていた。
狭くて、小さなドアをくぐり抜ける。店内は暗く、正面、真ん中には丸い形のカウンターが備え付けられ、奥に三十代ぐらいと思われる男性とドレスを着た妙齢の女性がスツールに座って話し込んでいた。
ん?食べ物屋?食べ、食べ物屋?
僕の頭の中で、ドーパミンの構造式によく似た物質が飛び交う中、スペインからきた男は言う。いい店だろ。ほら、ここ座れよ。
僕は寝ている間に黒人の漕ぐガレー船に担ぎ込まれたような眩暈を抱え込みながらも、なんとか彼の要望を聞き入れ入口にほど近いソファに腰を下ろした。すると、ほどなくして奥から40台半ばと思われる黒いドレスを着かざした女性がやって来て僕達の前の革張りのソファの上に腰を下ろした。
いらっしゃい。お二人さん、何を飲む?
ここでやっとこさ、僕の頭を飛び交っていたピンボールは位置を定めたようだった。男の言う食べ物屋とは、いわゆるキャバクラのことであり、中年のおっさんが家庭での寂しさを紛らわせるために集う場所だぞ、と。
僕はまだお昼であったことからアルコールは避け、女性のお薦めを聞き入れバナナジュースなるものを頼み、連れの男も同様なぜかバナナジュースを頼んだ。
およそ一分後、バナナジュースが到着すると、彼女はこう一言。私にも何か飲ませてくれる?
連れの男は言う。何を頼んでもいいぞ。好きにしろ。
女性は金ぴかの笑顔を見せ、店の奥まで引きさがると、自分用に飲み物を持って現れ、現地語、日本語、スペイン語で乾杯の音頭をとりなし、ごくりと一口グラスから飲み物を飲んだ。
こういう場で話されるのは普通どういったものなのだろう。残念ながら判例を知らないが、僕らの会話は唯一の媒介主である拙い英語を使って行われた(誰もそこまで得意ではないので、単語で盛り上がることとなった。ジャパン!!ソニー!!ソニー!!ジャパン!!マイコ!!キョウト!!)。
そうして単語だけで話す不思議な、社会の坩堝たる会話を繰り広げている中、彼女はまたもや言ってきた。もう一杯いいかしら?
見ると、すでにグラスの中は空っぽになっている。
おういいぞ。と連れはまたしも豪語。
そうしてアルコールを注ぎに女性が店の奥に引き下がったところで、連れはこうも言う。ほんといい女だな。特に尻がいい。尻が。あんないい尻をしてるやつ見たことない。
戸惑っている暇もなく(相手の女性は四十代で僕とは少なく見積もっても年の差二十はある。それに、言っては何だか年のあれこれを差し引いても昔美人だった感じでにも見えない)、再度ギリシャの女登場。手にグラスを持ってさっき居た場所に座る前にすぐにまた一口。
彼女はとにかく笑い、そして何度もソニーとのたまい、乾杯の音頭を告げる。
そうして無べなるかな、盛り上がらない飲み会と同じ運命を僕達三人も辿ることになった。ただただ目の前の飲食だけが消費され、輪のように同じ会話が繰り広げられ、またもや三杯目と彼女。
連れは言う。この青年がイイっていうんなら、何を頼んでも構わんぞ。
ん?どういうこと?僕がイイと言うならって?
僕の戸惑った顔を見て、連れは言う。だってお前、これ割り勘だろ。お前男だろ。
ちょっと待て待て、誘ったのはお前で、しかも来る前に僕は学生だって言っといただろ。どう見てもアメリカのプレップスクールに通う小奇麗な学生に見えやしないじゃないか。
僕は青ざめ、そこですぐさま会計へと駒を進める。勘定は日本円換算で2万円。頭おかしい。バナナジュース一杯と、とてつもなくどうでもいいおばさんとの単語ラリーで二万円。一人頭一万円。頭おかしい。地獄に天使などいない。居るとすれば天使の顔した小鬼であり、奴らは日本人がその手に握る蜘蛛の糸まで断ち切ろうと躍起なのだ。
かくして僕は、おそらく客引きだと思われる自称スペイン人を横手に、たった十分かそこらギリシャのおばさんと日本についてお話をし、氷で薄まったバナナジュースを飲んで、一万円を後に市街に出立したのだった。
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