エジプトでの一日(カツアゲ編)②
①からの続き。
If you don't pay,I'll kill you!
やばい、殺される。あの名もなきブッダディアンのように車内で脳天の直下に弾丸を打ち込まれて殺される。
いやいやいや。僕はそうは思わなかった。こいつただのおっさんだし、腹で取るし、怒鳴ってるにしても両手もろハンドルだし、これはまあどんなに低く見積もってもお相子、ごぶごぶ、相手のこめかみにパンチ一つと、こっちのみぞおちにパンチ一丁で一家両成敗って感じじゃないか、と。
だが、その時僕の脳裏、いや耳を通じて、目を通して伝わってきたのは以下の事。後ろには中国人観光客二人が居座っており、なぜか異常なまでにタクシーのおっちゃんの怒気に怯え、縮こまっていると。
僕は瞬時に算段し始めた。一人ならいける。だけれどそこに中年そこそこの中国人観光客二人。しかもそれに付け加えコミュニケーションのレベルでかなり問題ありな症例だ。ああ、しかもしかもだ。手持ちのバッグは全て後ろのトランクの中にあるときてる。いかさりなん。子猫を人間どもに奪い取られた親猫の思いだ。
そうこうしている間に、タクシーの運ちゃんの怒気は高まる。おめえら、金出せねえんなら、まじでほんと殺すかんな。これだから仏教はいけすかねえんだ。これだかかアジア人はクソ野郎なんだ。タクシーは高速道路をひた走り、横をヤシの木が飛びずさる。
僕は彼の怒気に紛れて絶望した思いで言う。じゃあ空港まで帰ってくれよ。それでいいだろ。それでおじゃんだ。
なんと楽観主義なことだろう。彼はこちらをぎろりとして言う。払えや払え。150ダラー。150ダラー。150.ああ、にわかに目が血でたぎっている。それもそのはず。こやつの一か月かそこらは、この一商売にかかっているのだ。そりゃ僕だって逆の立場だったらそうする。バスのハンドル握って一日1ドルぐらいの稼ぎなら、アジア人チートをいっちょ使った方がよっぽど楽に稼げる。
そんな感慨深い思いに囚われていると、なんと僕の目の前を、見てはいけないものがするりと通り過ぎさったではないか。100ポンド紙幣。なんと中国人が恐れのあまり、これで許して、firguve meと言って100ポンド紙幣を差し出したのだ。
お前らなにやってんだ。これじゃ土俵に乗ったのも同じ。許すも何もこれじゃ僕まで払わなくなるじゃないか。
もちろん、思ったとおりタクシーの運ちゃんは札束をにぎにぎしく引っ掴むと、ここぞとばかりにこんなんじゃ全然足りねえぞ。俺が言ってんのは150ダラーだ。150。そいつを払わなくちゃ殺してやっからな。
なんだ、この茶番劇は。中国人は怯え、エジプト人は久しぶりのカモに驚喜する。横は戦闘力3ぐらいの日本人で(すみません。ドラゴンボールからの引用です)、後ろはいくらでも融通の利く財布二つだ。
そんな状況で僕の口から出たのはこの一言だった。じゃあ、もういい。ここで下ろしてくれ(四車線の高速道路の右から三番目)。
その時のエジプト人の顔と言ったら。なんだか、同情したくなるような顔だった。間抜けであほ面。水槽を漂う金魚の顔真似を付け加えたような顔だった。
そこからの展開はとてつもなく早かった。車をなんとか路肩に止めるなり、僕はすぐさま車内から逃避。後ろのトランクに駆け寄り、なんとか抉じ開け中から、荷物(バックパック一つと、スーツケース二つ)を取り出して、すぐさま横に駆けだした(もちろん早く降りろ、くそ中国人どもがと叫びながらである)。
まあタクシーの運転手もこれでまあまあの稼ぎと思ったのだろう。中国人二人組が降りると、別に追いかけてくるわけでもなく、ただバックミラー越しに睨んできただけで、同じ方向に進んでいった。
これがエジプトカイロでのお話。この後は高速道路から他の流しのタクシーを拾って、100ポンドで市内の中国人が泊まるホテルまで連れて行ってもらった。そしてなぜか僕ら三人組は、その後の半日、カイロの考古学博物館に行って、半裸で横たわる今は亡きミイラ一式を一緒に見て回ったのだった。
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