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遺跡ねつ造事件関連で相変わらず関係者の口が重いまま・・・

 実はこのブログはかなり休眠状態で前の記事を消して書き始めている。

 最近、コロナで精神的に参っているのだが、実は自分の住んでいる市に考古学関連の博物館があったことを知り、何回か足を運んでいるうちにこのブログを書く気持ちもわずかに芽生えてきた。

 加えて最近になってYOU TUBEなどで遺跡ねつ造事件に関する動画がちらほらとアップされていて、関係者の新しい証言もじわじわ出ているので自分も再び、事件に向き合おうという気持ちもある。

 私事で恐縮だが、実は最近、ある考古学関連の研究をしている会社や考古学や博物館の学芸員や新聞記者と私の大学の関与した遺跡ねつ造事件に関して少しばかり話す機会もあった。

 残念ながら事件に関しての影響は今も大きく、関係者も事件に関して積極的に話したいという気持ちは少ない。

 遺跡ねつ造事件に関しては今も多くを語りたくないという重苦しい空気がコロナ渦と一緒になって学芸員の間には今も濃厚にある。

 遺跡ねつ造事件の重さというかタブーは今も根強く残っていて事件に関して話したくないという学芸員も多いし、考古学に詳しい学芸員も事件に関して何があったのか?を研究すればするほど事件の闇の深さに戦慄を禁じ得ないという気持ちなのだろう。

 今、コロナ渦で難しいので、学芸員と長く話すことは難しいのもあったが、事件の影響は余りにも大きく、全体的に考古学に関してFのねつ造のせいで博物館や美術館の来館者は減っているということだ。

 私の訪問した博物館は展示に関してFがねつ造した旧石器時代関連の展示はなく、縄文時代や弥生時代や古墳時代の土器や石器や動物の骨やキノコの土偶などが多かった展示を中心にやっていたが、やはり、Fのねつ造のせいで展示されている土器・石器は本当に本物か?と疑心暗鬼にもなってしまうもので、逆に私個人も考古学の展示を見ると逆に心が落ち着かなくなってしまうものだ。

 作家の松本清張が芥川賞を貰う前に学歴差別に苦しみ、自分の境遇を呪い、内面の葛藤から逃げるように彼も日本の古墳や遺跡や考古学の遺物を見て、気分転換を図っていたというが、逆に自分はFのねつ造事件のせいで考古学の土器や石器を見ても心が逆に落ち着かず、あの忌まわしい事件を思い出して一種のトラウマも沸き起こってくることもある位だ。

 Fの起こしたねつ造事件から反面教師のように考古学を学ぶというのは方法論として一理あるのだろうが、やはり、Fの引き起こした事件のスケールの大きさと悪質さは余りにも強烈というしかない。

 今、コロナ渦で博物館や美術館の来館者の数が激減し、輪をかけて考古学関連の博物館の訪問者数が激減しているという。コロナ渦という事情もあるが、ねつ造事件の実行犯だったFの一件もまた、影を当然、落としていると考えて差し支えない。

 Fのねつ造事件の後遺症は相当のもので、私もFを甘やかした東北福祉大学のOBである以上、事件は忘れないつもりである。

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