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THE IDEA OF THE BRAIN- A HISTORY by Matthew Cobb (1. Heart)

序章に続き、今回は第一章「Heart」の要旨を紹介する。

歴史上、人類は脳ではなく心臓こそが思考や感情を司る器官と考えてきた。

"Virtually all we know from prehistory and history suggests that for most of our past we have viewed the heart, not the brain, as the fundamental organ of thought and feelings."

その理由として著者は先ず人間の直観を指摘する。日々心臓の鼓動こそが、感情の起伏により変化し、血流を通して思考に影響を及ぼしているような感じがするからだ。

"Heart-centered views correspond to our everyday experience- the heart changes the rhythm at the same times as our feelings change, while powerful emotions such as anger, lust or fear seem to be focused on one or more of our internal organs, and to course through our bodies and change our way of thinking as though they are transported in, or simply are, our blood."

感情が心臓から来るという考え方は、ギルガメッシュ叙事詩や、エジプトのヒエログリフ、中米のマヤ・アステカ文明にも見られるという。

それでは、誰が最初に心臓ではなく脳に注目したのか。直接の記録は残っていないものの、古代ギリシャの哲学者アルクマイオン(紀元前5世紀)が、知能を司る器官は脳であると述べていたということが後世の文献に記載されているという。アルクマイオンは「感覚」に興味を持ち、動物実験を通じ眼球の働きを探究したらしい。

更に、紀元前4世紀頃、同じく古代ギリシャの哲学者ヒポクラテスによるとものと伝えられる著作「On the Sacred Disease」てんかん症状の観察で知られるものだが、ここに脳が感情を司る器官ということが記述されている。(余談だが、ここに記載されているのは、てんかんは、血液に混じった痰が脳への空気の流れをせき止めてしまうことで発生するので、脳天に穴を開けて空気を直接吹き込むことで治療するという恐るべき内容だが、18世紀まで欧州の医療マニュアルにこの方法が掲載されていたという。)

"It ought to be generally known that the source of our pleasure, marriment, laughter, and amusement, as of our grief, pain, anxiety, and tears, is none other than the brain."

しかしこの考え方は、かの有名なアリストレスにより否定され、その後近年まで心臓が感情を司るという考え方が支配的となった。その著作「動物部分論」の記述通り、感覚は脳ではなく心臓から来るものだと明言している。

"And of course, the brain is not responsible for any of the sensations at all. The correct view is that the seat and source of sensation is the region of the heart... the motions of pleasure and pain, and generally all sensation plainly have their source in the heart."


アリストテレスの影響力は非常に大きく、その死後まもなく、エジプトのアレクサンドリアで、ヘロフィロスやエラシストラトスという医学者が、歴史上はじめて人体解剖を行い、心臓ではなく神経が感覚器と繋がっていることや、人の脳が動物の脳に比べて非常に複雑に出来ていることを明らかにしたり、2世紀にはローマ帝国のマルクス==アントニウス帝に仕えた医学者ガレノスが、生きた動物を使った実験で、感覚を司る神経は脳から来ていることを示したのだが、アリストテレスの考えが覆されることは無かった。


7世紀に入り、イスラム教が勢力を拡大する中、彼らの社会は知識と科学技術に重点を置き、東ローマ帝国のビザンチンの図書館にあった蔵書より、ギリシャ・ローマの文化的遺産を研究。忘れられていた過去の知識が再構築され、橋や運河の建設技術、紙やガラスの製造法など、新しい技術革新に繋がっていった。その中で、ハリー・アッバスという医学者がガレノスの著作を翻訳したのだが、彼はそこから独自に理論を発展させ、人間の感情や理性など(Animal Spiritと総称された)は心臓でつくられるが、そのAnimal Spiritは脳にある三つの空洞に詰め込まれており、血液を通しそれらが体に伝えられるということを主張した。

Haly Abbas claimed that the three cavities or ventricles in the brain were full of animal spirits that were created in the heart and transported in the blood. Each of the ventricles had a different psychological function:   1) sensation/imagination 2) intellect/reason 3) motion/memory

この考え方に特に根拠は無かったにもかかわらず、イスラム教社会のみならず、キリスト教社会にも広く受け入れられたことから(レオナルド・ダビンチやトーマス・アクィナスのような大物も疑問なく受け入れた)、その後1,000年以上もの間、色々なバージョンとなって欧州・中東で根強く残った。以下写真のようにビジュアルな説明がされたことも、広く普及した大きな要因だったと思われる。(1504年、ドイツのGregor Reischによるもの)

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15世紀に入り、欧州でルネッサンスが起き、科学技術の革新でたとえば望遠鏡や顕微鏡の発明により人智を越えた世界が発見され、プロテスタントの台頭で教会を通さないで個人が知識を獲得する動きが活発になる中、従来の世界観が覆されると共に、知がありのまま人に受け入れられるようになった。

そのような時代でコペルニクスの地動説が発表されたのと同時期に、アンドレアス・ヴェサリウスという解剖学者が、実際に多経験に基づく"On the Fabric of the Human Body"という700ページ以上もの大著を発表し、アッバスがいうAnimal Spiritなどは存在しないということを示し、過去の言説を偽りだと強く糾弾したものの、実際の脳の機能については解明することが出来なかった。

"Vesalius concluded by saying that 'nothing should be told about the locations in the brain of the faculties of the supreme spirit', lashing out at the theologians who dared to localise them, describing their ideas as 'lies and monstrous falsehoods'. Strong stuff."

そのため、その後も当面の間、感情が心臓から来るのか、脳から来るのか、混乱が続くことになった。シェークスピアのベニスの商人にも次のような一節があるという。

"Tell me where is fancy bred, Or in the heart or in the head?"

以上が要旨だが、これらのことから得られる気付きは以下の通り。

1.人間は直観に抗えないこと

2.人間は権威に弱いこと

3.先進的なアイデアも科学技術の進歩を待たなければ日の目を見ないこと

4.良いプレゼンテーションの効果は古今東西問わず大きいこと


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