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THE IDEA OF THE BRAIN まとめ

1.The Idea of The Brain。イギリスの動物学者Matthew Cobb氏の最新の著作に三か月ほど掛けて向かい合った。このNoteでは、この本の内容に沿って、脳研究の歴史について時系列的・テーマ別に整理し、脳について分かっていること・分かっていないことを明らかにしたい。

2.本書では、古代ギリシャ時代から現代に至るまで、人が自らの感覚や思考を司るもの(古代はそれが脳ではなく心臓だと思われていた)を、どのように考え理解しようとしてきたかということが、時代を追って分かりやすく纏められていると共に、神経細胞や遺伝子レベルで脳の働きの一部が解明されている現代においてさえも、人がどうして感覚や思考を持ちうるのかという基本的な問題すら解明されていないことを気付かせてくれる。

3.なぜ解明されていないのか。それはまだ人類が解明するだけの科学技術を持ち合わせていないからである。著者曰く、自らの研究対象である蛆虫の脳の働きを解明するだけでも、あと50年は掛かるだろうとのこと。
"my view is that it will probably take fifty years before we understand the maggot brain- that is, we can fully model its working and accurately predict how a change in the activity of one neuron will affect the whole system, in a wide variety of conditions."
<蛆虫(maggot)の脳の働きをモデル化し、様々に変わりゆく状況の中、その個々の神経細胞の活動の変化がもたらす脳全体への影響を正確に予測できるようになるには、50年は掛かるだろう>
 ましてや、高等生物でニューロンの数が数百億個あると言われる人間の脳の働きを理解するまでにどれだけ時間が掛かるかのだろうか(ショウジョウバエは25万個程度)、ということである。脳を構成する神経細胞個々の動きは20世紀の間に相当解明されてきたが、膨大な数の神経細胞がどう相互に作用し合い、その結果何が起きるかということを、一つの個体レベルで解明するだけの技術は無いということだ。

4.歴史的にみると、人はその時々の先端技術と思想の枠組みで、脳の働きを理解しようとしてきた。
 科学が発達する以前、人が直観に頼っていた時代には心臓こそが自らの感覚や思考を司るものだと考えられてきた。心臓の鼓動が感情の起伏により変化することから血流を通して思考に影響を及ぼしていると感じたのである。
 古代ギリシャからローマ時代に掛けては、医学の発達や人体解剖などが行われ、感覚を司る神経は心臓ではなく脳から来る証拠が見つかりはじめてきた。しかし、脳が感覚や思考を司ること自体を裏付けるエビデンスは無く、感情や思考が脳ではなく心臓でつくられるという考え方が古くギリシャ時代ではアリストテレスにより、中世ヨーロッパにおいてはキリスト教の権威からお墨付きを得ていたこともあり、16世紀まで普通に受け入れられてきた。当時の宗教観では肉体とは別に魂が存在するという考えが支配的であり、感情や思考を科学的に解明しようという動機も乏しかったものと思われる。
 16世紀に入りルネサンスの影響で科学技術が急速に進歩。望遠鏡や顕微鏡などが発明され、従来の宗教的な世界観に対し、世界を観察された通り、ありのままに観ようとする動きが出てきた。しかし地動説を支持したガリレオが1633年に異端審問にかけられたように、17世紀に入っても宗教権威からの反発は強かった。かの有名な哲学者デカルトは、人の脳の働きを当時の庭園に設置された水圧式自動人形になぞらえ、心臓から送り出される血液をもとに、脳の松果体でAnimal Spirit(人間の感情や理性を司るもの)という液体がつくられ、これが体中を巡るという説を唱えたが、これが発表されたのはその死後である1662年。彼が脳の解剖を行ったのは1630年代と言われており、異端審問を恐れて当時は発表できなかったものと思われる。このデカルトの考え方は、心臓でなく脳を思考の原因とするのみならず、感情や思考が魂でなく物質から来るということを示した点で革新的であった。この考え方は、リヴァイアサンのトマス・ホッブスや社会契約説のジョン・ロックに引き継がれ、近代国家成立に欠かせない自然権や社会契約など重要な政治思想の基盤となっていく。
 またこのように水圧的人形になぞらえて脳の機能を考えたことは、この発表から間もない1669年、本著の冒頭にも引用されているが、デンマークの解剖学者ニコラウス・ステノが発表した「脳の働きを理解するには、機械の働きを理解するのと同様に、そのパーツ一つ一つを分解し、それぞれの働きと共に、全て一体としての働きを検証しなければならない」という、脳の機能を考える上では極めて重要な問題提起にも繋がっている。この時から脳の機能を当時の先端技術に照らして理解しようとする流れが本格的に始まった。

5.顕微鏡技術が発達し様々な動物の解剖が行われる中、17世紀後半にオランダの生物学者ヤン・スワンメルダムが、金属製の鋏でカエルの筋肉に触れると筋肉が収縮することを発見し、脳からAnimal Spiritが流れて各器官に作用するというデカルトの説を否定。18世紀に入り、イタリアのルイージ・ガルヴァーニが1771年に死んだカエルに電気火花を当てるとその筋肉が痙攣することを発見、1803年にはガルヴァーニの甥が処刑された死刑囚の体に電気を流すとその死体が動くことを示し(後のフランケンシュタインの発想に繋がったという)、生体内にはデカルトのいうAnimal Spiritのような液体ではなく、電気が存在して各器官に作用しているという考え方が広まってきた。電池の起源であるボルタ電池が発明されたのもこの頃であり、イギリスの外科医アルフレッド・スミーは1849年、脳の機能を電池になぞらえ、脳を電池に見立てて、そこから神経が電気回路のように筋肉や感覚器に繋がる図を示すと共に、同じような仕組みで思考することが出来る機械というものも考案しようとした。当時最先端の科学であった電気で脳の働きを説明しようとするのみならず、脳の仕組みを機械で再現しようとした試みは(全く失敗に終わったものの)画期的だったと著者は述べている。

6.一方、脳自体の働きに関する科学的発見はなかなか出てこなかった。ウィーンの医師フランツ・ガルは多くの人や動物の頭蓋骨を調べた結果を基に、1800年頃、人の行動や性格は頭蓋骨の形によって決まるという「骨相学」を提唱。この説はエビデンスに乏しかったものの一世を風靡し、マーク・トウェインなど当時の名立たる小説家にも大きな影響を与えたが、結局は下火となった。但し、脳が人の行動や性格に影響を与えるという着想自体は、失語症患者の研究により1861年に脳のブローカ野を発見したフランスの内科医ポール・ブローカ、脳の潰瘍に苦しむ患者に治療と称して様々な電気実験を施し脳の機能の一部を解明した米国医師ロバート・バルトロフなどの研究(1874年)、スコットランドの神経学者デイビッド・フェリエによる脳の特定部位とその部位が作用する身体部位のマッピング(1876年)など、脳と身体反応に関する具体的な研究成果に繋がっていった。
 しかしフェリエは曰く、なぜ感覚というものが生じるかは依然不明であり、100年以上前の1712年に、ドイツの哲学者ゴットフリート・ライプニッツが提起した「ライプニッツの製粉機」、即ち、製粉工場に入ると部品同士が押し合っている様子が目に入るだけで、製粉工場が製粉という行為を認識している痕跡は全く無い、これと同様に、脳の中身をみてそこで起きていることを全て理解したとしても、脳自体の意識や思考を知ることはできない、という問題は依然解決できていないとした。

7.この時期はチャールス・ダーウィンの進化論が登場し、キリスト教に基づく欧米の価値観を大きく揺るがした時でもあった。ダーウィンは、進化の過程で脳の構造が変化したこと、構造が変化したことが行動の変化に繋がっていること、他の動物、特に類人猿との間に越えられない壁があるという程に特別異なるものではないと主張。人間の意識に関しては、動物よりも人間の方がより意識することが出来るという程度問題の話であり、人間だけに特別に備わったものではないとする一方で、人間の心の起源については現在の科学では解明できないとして明言を避けた。同時期に進化論の考えに辿り着いたもののダーウィンに先を越されたことで有名なアルフレッド・ウォレスが、人の心は自然淘汰では解明できない超自然的な力が働いたものと主張したのとは対照的である。ダーウィンの後継者であるトーマス・ハクスリーは、ダーウィンよりも踏み込み、心理状態とは体の各器官で起きる変化が意識として表象されたものであり、我々が意思的と信じているものも、実際のところそうではないという見解を示した。しかし、いずれの考えをとっても、それを裏付けるエビデンスが見つからない中、実質的には議論百出の状態のままであった。

8.脳の身体への作用に関し新たな発見が相次ぐ一方、脳には特定の身体部位の動きを妨げる機能もあることも分かってきた。イギリスの医者フランシスコ・アンシは1865年、麻薬や飲酒によって人がトランス状態になったり酩酊するのは、脳の一部が麻痺してしまい、本来備わっているはずの制御が働かなくなっている結果ではないかと提唱。以来、脳には身体を制御する機能があり、例えばてんかん患者などは、何らかの理由で制御が損なわれている可能性があると考えられるようになった。この考えは、イギリスの生理学者チャールス・シェリントンが、通常犬の脇腹を掻くとその足が反射的に動くものの、中枢神経興奮剤(ストリキニーネ)を投与すると反射が起きず動かなくなることを発見したことで裏付けられた。また、ドイツの生理学者であるヘルマン・フォン・ヘルムホルツは、両目で物を見ることで立体的に認識できることや、視界に入っていても知覚できない部分(死角)があることに気付き、脳が外界の情報を単に受動的に受け入れているのではなく、選択して受け入れる能動的な制御器官であることを明らかにした。このように医学や医薬品の進歩により、脳の制御機能が徐々に解明されてきたが、脳が全体としてどのような機能を果たしているのかについては依然分からないままだった。そのような中、心の問題に関しては、脳科学よりも心理学的アプローチが重視されており、当時世界の両巨頭であるオーストリアの精神科医ジークムント・フロイトと、ロシアの生理学者イワン・パブロフは、脳科学では心理の問題は説明できないとした。

9.19世紀、脳における最大の科学的成果ともいえる大発見があった。それは全ての生物が細胞で構成されており、どの細胞もその起源は他の細胞に由来していることが発見されたことである。脳の機能を担う神経細胞の仕組みについても、イタリアの内科医カミッロ・ゴルジが偶々神経細胞の一部のみを誤って染色したことで、神経の経路を解明することに成功し、スペインの解剖学者ラモン・イ・カハルが神経細胞(ニューロン)を当時普及していた電信技術になぞらえ、情報の受容・伝達・分配という三つの機能に分けて説明、この功績で1906年に二人はノーベル賞を受賞した。

10.20世紀に入り、脳の働きは神経細胞によるものであることは分かってきたが、依然脳機能の全体像については分からないままであった。そのような中、1922年にニューヨークで上演されたチェコの作家カレル・チャペックによる戯曲「ロボット」が大好評を博し、人造人間というコンセプトが注目されるようになった。ロボットには脳は無いが、あたかも人間のように振る舞うことが出来る。人間の感情や思考についても、脳の働きにその原因を求めるのではなく、その振る舞いを研究することで、解明することが出来ると考えたのが米国の心理学者ジェームス・ワトソンであり、この考え方は行動学という新しいジャンルを生み出した。一方、人造人間を否定する立場で有力だったのが生気論であり、生命体には特定の目的に向けて行動しようとする共通の動機が内在すると主張であり、唯物的な世界観に対する反論として17世紀より登場していたが、人造人間の出現に対するアンチテーゼとして改めて息を吹き返した。しかし、どちらの理論も、それを支えるエビデンスが欠如しており、人間行動を解明する点に於いて具体的な成果を上げることはなく、また脳の機能解明という点でも役に立たなかった。

11.一方、同時期に脳に関する新たな興味深い発見があった。イギリスの電気生理学者エドガー・エイドリアンが、1925年にカエルの足を引っ張り、それに抗する筋肉の収縮を指令する神経伝達を記録する実験を行ったところ、引っ張った際に記録されたのはビートを打つような一定サイズの波であり、強く引っ張った場合も、波のサイズは変わらず、ビートの回数が増えることが発見された。ここから、神経細胞で伝達される情報は、ビート有/無の二択(=引っ張られている/引っ張られていない)、及び、ビート回数=引っ張られている力の強さ、であることが推察された。すなわち、神経が伝達する情報を0か1のどちらかしかない、二進法の世界であることが発見されたのである。1943年には、米国の神経生理学者ウォーレン・マカロックと数学者ウォルター・ピッツが二進数によるAND/OR/NOTの論理に基づく人工神経モデルを考案し、刺激に対する脳の反応について説明を試みた。解剖学的見地でなく論理的見地から神経の働きを解明しようとしたこの試みは斬新だったが、実際の脳の機能ははるかに複雑であり、脳の機能の解明の役には立たなかった。
 しかし、人工神経モデルは思わぬ貢献をもたらした。米国の数学者ジョン・フォン・ノイマンはこのモデルを参考にして人類初のコンピューターを開発したのである。今、脳をコンピューターになぞらえる人が居るが、実際のところ話は逆で、脳の研究がコンピューターの発明をもたらしたと言える。

12.以上が本書の前半で語られる脳に関する過去から20世紀半ばまでの歴史である。ここで一旦区切られているのは、その後半世紀以上もの間、脳全体の機能についての新たな発見は無いためである。後半部分は、直近の半世紀で脳の研究が各分野でどこまで進んできたかに就きテーマ別に紹介がされている。

13.まず人間の記憶について。短期的記憶は一旦海馬に記録されると一般的に考えられているが、どうやら海馬は記憶の窓口機能を担うだけであり、場所の記憶、臭いの記憶等々、脳全体に分散した役割毎の特定領域で記録されるようだ。また睡眠中に記憶が定着することもマウスを用いた実験で確認されている(睡眠は重要!)。

14.次に脳神経は複雑に繋がりながらも一定の階層構造を取っている可能性があるという話。たとえば触覚を司る特定の脳の部位があり、その部位は体のどこを触られたか分かるよう、身体部位に応じて階層化されているという。同様に聴覚・視覚を司る部位もあり、それぞれの部位からの情報を統合して一つの感覚にして上層に送る上位階層の部位があるようだ。このように部位毎の神経回路の繋がりの研究は進んでおり、ここに引用するデータでは1996もの部位の接続状況を調査している(Wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A0

15.自動学習を行うAIと脳の対比について。AIは自動学習を通じて予測の精度を上げ正しい判断を下すことが出来るようになるが、脳は状況に応じて判断の仕方を変えることがあり、二つを比較すると脳の方が遥かに柔軟であるとのこと。たとえば芋虫ほどの小さな生物であっても、同じ刺激に対する反応は一様でなく、生育環境に応じ神経回路が異なる形で発達してきたと思われる。この柔軟性こそが脳の特徴でありAIとは大きく異なるところである。

16.脳内の化学物質の働きについて。LSDの幻覚作用が偶然発見され、ドーパミンやセロトニンのような神経伝達物質が人の気持ちや感情に作用することが分かってきたが、神経伝達物質は数百種類あり、この物質があれば鬱にはならない等、一概に判断を下すことが出来ないのが現状。また遺伝子由来の躁鬱の研究も進んでおり、確かに特定の遺伝子が鬱病の原因となり得るタンパク質をつくるかもしれないが、鬱病自体は他の物質との作用や環境の影響など、複合要因で発生するものであり、鬱病遺伝子というもの自体は存在しないと言えるだろう。

17.脳の特定部位が特定の機能を持つかという問いについて。これは脳の人体実験が行われるようになった19世紀以降ずっと議論されてきたことだが、CT、PET、fMRIなど、脳活動全体をタイムリーに計測できる機器が登場し、刺激に対して脳は特定部位だけでなく全体的に反応していることが確認された。しかし、最新のfMRIであっても、脳神経の実際の活動そのものを計測できている訳ではなく、活動に基づく反応を大雑把に把握しているだけなので、この問いに判断を下すには計測精度の向上を待たなければならない。但し、脳について信じられてきた幾つかの神話に就いては、誤りだったことが指摘できるようになった。先ず、男女の脳に差があるという話。男女全体の傾向値というものはあるものの、個人レベルで脳を比較した場合、有意な差は見られない。次に、脳は三つの脳(爬虫類時代のなごりである反射脳、動物時代のなごりである情動脳、人間特有の理性脳)より構成されるという理論。これは理論として発表された際は話題も呼ばなかったが、著名な天文学者カール・セーガンが引用したことで世界中で有名となり、今でも信じている人がいる。また、人の行為を観ることで、あたかも自分がその行為を行っていると錯覚する原因となると言われるミラーニューロンについても、実際にそのような時には脳の複数個所が同時に反応しており、特定のニューロン(神経細胞)が働いているという事実は無いことが確認されている。

18.意識について。脳の中には司令塔のようなものがあるという考えは昔から今に至るまで健在であるが科学的なエビデンスは全く無い。神経学者の立場からは、意識というのはニューロン同士が反応した結果に過ぎないという見解の方がよほど信憑性が高く両者のギャップは埋まっていない。興味深い事例として、てんかん治療の結果、右脳と左脳を真っ二つに切り分けられた人が、右目だけで見せられたトランプのカードについて言葉で説明を求められた時は何も答えられなかったが、該当するカードを指さすように言われたところ、ちゃんと正しいカードを指し示すことが出来た話があり、同一人物でも右脳と左脳で異なる意識が発生していることを示唆する結果と言える。

19.以上、本書の内容を忠実にたどってきたが、脳研究の歴史を読んで先ず感じたのは、エビデンス無き言説は崩れるということである。古くは人の感情は心臓から来るという言説であり、近年では行動学や生気論であったり、三つの脳理論であったり、これらは確かにぱっと見には分かりやすく、直観的にも正しい感じがするが、それを誤りとするエビデンスが登場すれば、もろくも崩れ去れ一顧だにされない。誤った理論を信じ、それに時間とお金を投入してしまっては取り返しがつかない。より多くの人がこの本に触れ、間違った言説に振り回されることが無くなることを願うと共に、自分自身も脳研究の分野に限らず、怪しい議論に対しては常にエビデンスを求める姿勢を貫きたいとの思いを新たにした。



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