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デス・レター(アルバム発表後の所見など)

サードアルバムの発売を開始した。タイトルは”Brought Back Without Souvenirs”。
主にTower Records, HMV, DiscUnionなどのオンラインショップで売っているらしいから、是非手に取っていただきたい。また、ヨーロッパでの発売も開始している。GetYourGenkiRecordsというドイツのレコードレーベルがすべてを取り仕切っている。(www.getyourgenki.de )また、ダウンロード/サブスクリプションについては、Bandcamp( →(Yajirushi) : Brought Back Without Souvenirs | Get your Genki (bandcamp.com) 、MORA( Brought Back Without Souvenirs/→(yajirushi)|音楽ダウンロード・音楽配信サイト mora ~WALKMAN®公式ミュージックストア~ をはじめとする各種音楽サイトで利用可能である。是非聴かれたい。とはいえ、フィジカルCDのほうが、面白いよ、とは、一言付け加えておこう。理由は、開けてみればわかる。

と、ここまでは宣伝であったがさて、少なからぬ友人も当アルバムを買ってくれたようで、「買ったよ!」の連絡を何通かもらったのだが、中には感想をよこさぬ者もいた。ケシカラヌ、と言っているわけではない。俺はむしろ、「彼ならば当然だろう」と思う。感想をよこさぬ理由はおそらく二つある。第一に、Yajirushiに(ロックにか?)興味がない。友人だから、買ってやったというもの。肯える。今アルバムは、楽しい聴き味にはなっているものの、好戦的であり、どこか不安定であり、歪だ。それは日常生活に不安や異物を投下する。安定した、現状に何ら不満のないものに、それは不必要であろう。耳障りのよいもの、自らの生活に潤いを与える、いわばBGMとして、おやつとして、玩具として、我々のロックは、実に向いていない。

一瞬、話は逸れる。俺の使っているSNSは主にFacebookとXである。FBは見渡す限り平和そのものといった感じだが、Xはちがう。毎日パレスチナ問題、政治家の不正、日本バンザイの所謂ネトウヨ…ネガティヴな話題に満ちている。中でとりわけ俺が首肯するのは「日本全体主義」の成熟、という話題である。

日本の教育は、カリキュラムと呼ばれる、「正しい社会人」になるために「すべきこと・すべきでないこと」を教育する課程が含まれる。このカリキュラムが事実上軍隊の規律に基づいていること、義務教育の教師と生徒の関係性が「主・従」であることと相俟って、高校を通過したものは、受け身・指示待ち・事なかれ主義のメンタリティが「正しい」と刷り込まれる。これが国政の場においても、「政治家=主・市民=従」となっている、こういうものだ。
これに加えて、ここ30年で提唱されてきた新自由主義のために、貧富の差は拡大し、富裕層、貧困層という格差社会が出来し、人々は一刻も早く「主・勝ち組」にまわろうとした。その一方で、貧困は「自己責任」とされ、要領の良いものが跋扈するようになった。

昨今、ロックは衰退したといわれているが、当然であろう。ロックの本領は、体制への反抗であり、アート、即ち美しい異物だからだ。勝ち組の生活に、こんなものは必要ない。彼らにとってのアートはラッセンである。彼らにとってのロックは、ヴァンヘイレンである。いずれも、現代の教養が公認した、故に「安心して見られる・聴けるものでなければならない。

さて、当然といえば当然だが、俺はこの社会を軽蔑している。故に、このマインドを持ったすべての人を軽蔑する。それは、この社会にintegrityがないからである。Integrity。どう訳せばよいか。矜持、人間性といったところか。人間思う自然な感情が他者に対してダイレクトに行動に移行できること。川でおぼれた人を助ける、物乞いに金を恵む、裏切りを憎む、このようなことで大体表現できているだろう。新自由主義とカリキュラムに染まった人間には、これが希薄化、全くないと思われる。あっても宝刀は抜かれぬままだ。なぜなら彼らは、困窮にあえぐものを、自らのあ安定を脅かすものとして、排除するか無関心を気取るしかできないからだ。よしんば気持ちがあったとしても、彼らは命令されなければ動けない。カリキュラムの賜物である。

俺がロックを奏でるのも、俺自身、新自由主義の外側の人間だからである。そして、俺たちの音楽に温かい感想をよこすものは、少なくとも、新自由主義に片足を突っ込んでいながら、どうしようもない違和感を持っている、いわば、俺たち、ロックのファンだからである。

くりかえす。俺は新自由主義を嫌悪するし、新自由主義者、「自己責任」と一言口走ったものを軽蔑する。俺たちの音楽がヨーロッパで受け入れられたことは偶然ではない。そして、俺たちの活動の場は、もしかすると日本では、最早ないかもしれない。

註・ジャニーズ、グリーンアップル、大谷翔平の自宅…マスコミ/音楽/広告業界がどんなに悪事を繰り返し起こしても、大半の日本人は「自分には関係ないから」とうそぶいて、そして、忘れる。新自由主義とは、まさにこの人たちのことである。

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