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戦争は違法であっても無くならないー日本人への警告ー


留学先の授業で軍事史の授業を取っていた。この授業の教鞭をとっていたのは元米軍の幹部を務めていた人でアフガニスタン、イラクへ派遣された経歴を持っていた。また、私と一緒に授業を取っていたクラスメイトはいわゆる軍事オタクがほとんどで、授業中にコスプレで軍服を着ている人もいた。


日本にずっと住んでいた身としては異様な空間だった。アメリカは戦争というものが歴史とは切って切り離せない物であり、自分の身の回りを見渡すと、何らかの戦争に従軍した人や軍で勤務経験がある人がゴロゴロいる。また、軍人に対する社会的地位が高く、一部の飲食店では特別に割引をしてもらったり、博物館などの公共施設に優先的に入場させてもらえることもある。(筆者がワシントンDCにあるアフリカ系アメリカ人博物館に入場しようとした時にその場面に遭遇した。)端的に言うと戦争がアメリカ文化を形作っているひとつのパーツなのである。


だが、日本では戦争という言葉を口にすることでさえ憚れる。少しでも政治家が戦前の日本を肯定しようものならマスコミから袋叩きに会い、国際法上は軍隊と扱われる自衛隊が日本国内だけでは軍隊とは扱われないという奇妙な論理が存在している。国際連盟を脱退し、アメリカにケンカを売ったあげくに、世界中を敵に回して国がボロボロになるまで戦ったという反省が戦後70年経った今でも根付いている。


しかし、日本人は間違った反省をしていないだろうか。私の見解では日本人が意味する反省とは第二次世界大戦で戦った総力戦(軍人、庶民かかわらず社会のあらゆる層の人々が加担する戦争)を二度としないことだと思う。だが、約70年前に日本が戦った戦争と現時点で戦われている戦争は大きく形態が変容している。そして、日本人と認識と現状にギャップがあるゆえに、新たな戦争の脅威に日本が対応できない可能性がある。


それについて考えてもらうために国際法的な視点から戦争について論じ、日本人が持っている従来の戦争の概念を問い直してもらう機会としていただきたい。

戦争を定義する


戦争というのはルールに基づいて行われる国家同士の決闘である。


なぜルールが必要なのか?それはただでさえ残酷な戦争をより文明的なものにするために編み出された賢人の知恵である。ルールができる以前は非戦闘市民は殺してはいけないなどの規定がなく、あまりに多い数の無辜の命が失われた。しかし、それはさすがに残酷すぎるであろうということで、戦時中でも最低限の節度を保ちながら行おうという動きが出てきた。その成果もあってか捕虜の扱いなどが示された、戦時国際法が整備され、戦争を起こすときは宣戦布告をしてから戦争は始めるという慣習が確立されたりと、過去の反省から戦争は徐々に文明的な要素も含まれるようになっていった。


国際法上において戦争は違法


しかし、ある時から戦争を行うということは違法となった、それは1928年の不戦条約(ケロッグブリアン協定とも言う)が成立したためである。その条約で具体的に何が決められたのかというと、国際紛争を解決する手段として戦争を国が放棄するということである。
そして、この条約の精神は第二次世界大戦に創設された国際連合が定める国連憲章にも受け継がれており、戦争の違法性は現代においても国際社会では周知の事実として認識されている。下記が戦争の違法性を定めている国連憲章の条文である。
すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。(国連憲章 第二条4項 抜粋)
そして、国連に加盟している国々はこの条文にしたがって行動する義務があることを国連憲章第2条で定めている。
ある意味では世界中の国が戦争放棄を訴えた憲法9条を保持しているとも言えなくもない。

戦争が違法なら侵略者から国をどう守る?


しかし、戦争を違法化したところで、戦争は完全に無くなる訳ではない。違法である戦争が増えるだけである。そして、違法であっても自らの国益を最大化するために戦争に打って出る国がある。1930年代のナチスドイツや1990年代のサダムフセインのクウェート侵攻がそれである。


それゆえ、違法な戦争を行う侵略者から国を守るために、違法である武力の行使が正当化される場合がある。ひとつは国連安全保障理事会(安保理)の承認が得られた場合である。安保理はアメリカ、イギリス、フランス、中華人民共和国(中国)、ロシアの5大国を中心として構成され、戦争行為を始めた国家に対して武力を用いた制裁が妥当であるかどうかを査定する機関である。そして、ある国の行動が国際秩序を乱したことが安保理によって判断された場合には国連加盟国全てが束となって侵略国に対して武力を用いて制裁を課すことが義務付けられている。このシステムを集団安全保障と呼ぶ。


しかし、このプロセスはふたつ問題点がある。ひとつは安保理の常任理事国の国々が保持している拒否権のせいで正当であるはずの制裁措置に法的根拠が与えられない場合である。安保理において上記で述べた5大国というのは拒否権という特別な力を有する。どういうものかというと、例え大多数の安保理の国々が賛成をしている議決でも、5大国の中の一か国でも反対票を投じたら、その議決はボツにすることができるという力である。そのため、例え5大国のどれかがある小国を侵略しても、安保理を通じて侵略を行った国に対して制裁措置をとれないという実態が発生する。


二つ目の問題点は国連安保理の議決に時間がかかるということである。侵略をされている当事国としてみたら、他国から攻撃されたら即座に反撃したいというのがホンネではある。しかし、安保理の決議が出るまで武力行使を行うことは禁止してしまったら、その間は侵略国からサンドバック状態になってしまう。


そのため、集団安全保障のシステムが対処できない二つの事態に対応するために、国連は各国が個別的または集団的自衛権という固有の権利を持つと、国連憲章第51条に規定してあり、国連に加盟していない国を救済する措置として国連憲章第52条には各国が自国の安全を守るために地域によって軍事同盟を締結することが認められている。そして、これらの規定を設けることで集団安全保障が対処できない事態を無くし、法的根拠を与えることで、状況と場合に応じては国家が武力行使を行なうことを可能にしている。

戦後行われた戦争は全て自衛戦争の一貫


繰り返し言及するが戦争は違法である。しかし、第二次世界大戦が終わっても戦争と言われるものは引っ切り無しに起こっていたじゃないかと指摘する人もいるであろう。
それは事実であるが戦争を仕掛けた国々は戦争を行っているという意識はなかった。なぜなら彼らは国を守るという、自衛の一環で戦闘をおこなっていたためである。これが日本人が知らなければならない現代の戦争の現実である。


例えば、アメリカが参戦した、ベトナム戦争やイラク戦争というのはアメリカからすると自衛のために仕方なく始めたものである。前者は共産主義の拡大から自国の権益を守る目的で行われ、後者は大量破壊兵器(Weapons of mass destruction)の脅威から自国を守る目的で行われた。


後者にあたっては、国際法を無視したアメリカのイラクへの侵略行為以外の何物でもないが、アメリカの論理としては自衛の一環であると頑なに主張している。主張と現実の間に大きな矛盾があるが、近代の戦争は全て、ある国が自国を守るという名目で開始されている。
端的に言うと大国の前では国際法の常識のへったくれもないのである。大国たちの用いるレトリック次第では例え戦争行為であっても正当化されるのが悲しい現実である。

最近の戦争は戦争だと気づかない


しかし、近年になって厄介な状態が発生している。気づかない内に戦争に巻き込まれている状態である。そのため、知らないうちに、自国の領土が他国に侵略されているという場合が発生する。このような新しい形態の戦争をハイブリッド戦争という。


2014年のロシアによるクリミア併合がいい例である。この事件においてロシアは一発も銃弾を放つことなくクリミアを併合するという政治的な目標を達成することが出来た。非暴力的な手段が大きな役割を果たすのがハイブリッド戦争のひとつの特徴である。


そして、ハイブリッド戦争はいくつかのフェーズに分けることが出来る。まず始めにハイブリッド戦争を仕掛ける国はサイバー攻撃や記者の買収を通じて、敵対する国内で自国の好感度が上がるように工作する。次に、その国で一定の支持が自分に集まれば、武装勢力を投じて、放送局や政府機関の建物を占拠し、占拠した地域に住む住民に対してプロパガンダをさらに強化する。そして、最後のフェーズとして武装勢力の主導の下で占拠した領土が併合されるか否かを決める住民投票を実施し、民主的な形で領土を収奪する。
この一連のプロセスがクリミアで実際に起こっている。


もはや国家は自衛のためなどといった言い訳を使わずに、他国に見えない戦争を仕掛ける時代になったのである。

日本も他人事ではない。

正しく戦争を理解する


この記事を通して伝えたいことは、戦争は違法でありながらも戦争自体は無くなっていないこと、日本も知らぬ間に戦争の当事者になる危険性があることである。


いくら世界中の国々が建前として戦争という国際紛争を解決する手段は放棄していても、日本を囲んでいる大国、アメリカ、中国、ロシアはそれを放棄していない。21世紀に入ってもなお通常の戦争は継続して行われており、日本もその当事者となっている。(中東での戦争においては自衛隊を派遣し、米軍は沖縄の基地を利用して戦争を遂行していた)


また、米中対立がこのままエスカレートしていくと、二国の間に位置する日本が草刈り場となってしまうかもしれない。しかし、今の時代、戦争は武力を用いられずに遂行される。サイバー攻撃やスパイ工作で知らぬ間に世論が操作されて、そのせいで国益が損なわれてしまう可能性もある。


戦争は現代においても普遍性があるものであり、形態を変えることもでき、もはや姿が見えないものになってしまっている。そして、その脅威から国民を守るためにも、日本国は戦争というものを極度に忌避するのではなく、正しく理解して、正しく対処する必要がある。

参考文献



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