見出し画像

キューバ・リブレのない夜

「戦争とは、正義と正義が戦うものだ」

 誰が言い始めたのかはわからないが、恐らく近年の創作物で生まれた言葉だろう。ともあれ、戦争を創作物の中でしか知らない私達世代にとっては、最もらしい言葉であるに違いない。
 私達はまず、幼児向け番組や日曜朝の番組で勧善懲悪を学ぶ。そしてライトノベルや深夜アニメ、はたまた映画や小説で、一歩進んだ視点である上記の定義がすんなりと入ってくる。
 この定義の是非を問う訳ではないが、しかし何事もにも例外は憑き物だ。

 今回私が訪れたハノイとサイゴン間で起こった、ベトナム戦争が当にそれである。

 『未必のマクベス』と、M bar

早瀬耕、(2017)、早川書房

 去年の晩夏にこの本に出会い、春休みを利用した観光で、ベトナム行きが決定した際に思い出した。

 「ぼくは、店員を呼んで、部屋から持ってきたダイエット・コークの350ml缶を渡して、それでラム・コークを作ってくれるよう頼む。このバーの店員は、キューバリブレというカクテル名を知らない。キューバリブレを注文しても、そんなものは置いていないと譲らない。」
引用元:未必のマクベス、p107

 ホーチミンシティのホテル、マジェスティックサイゴンの屋上バーでの話だ。それが印象に残っていて、観光の最後の夜に立ち寄った。このバーの実際の名前は本文と異なっており、'M bar'の看板が掲げられていた。この記事のアイキャッチは入口の写真である。
 バーの描写は本文をお借りする。

サイゴン川を見下すオープン・エアーのバーだ。(中略)夕闇がホテルの下で蛇行するサイゴン川を覆い、夜の帳というものが、言葉どおり、はっきりした境界として、ぼくたちの上を通り過ぎる。ホテルの前にリバー・クルーズの桟橋があって、観光船の電飾が灯る。対岸には何かが蠢いているような暗闇が広がり、それを眺めていると、いつも、引き込まれてしまいそうな不安を感じる。
引用元:未必のマクベス、pp.104,106

 主人公と同じ景色を見ながら、暗闇に、不安ではなく、旅の終わりのあの哀愁と高揚を感じていた。これだけで満足ではあるが、キューバ・リブレは本当に注文できないのか、猜疑心が沸き上がってきた。

ベトナム戦争

 ベトナムが南北に分裂して戦うことになった戦争。北のホーチミン(人名)氏率いるハノイが、植民地として支配されていた南のサイゴンを開放せんとする戦争。北をソ連・中国が、南をアメリカ・フランスが操った共産と資本の代理戦争。
 様々に表現できる。ただこれは正義vs正義の戦争だったのだろうか。勝利を収めたハノイの街を見て疑問に思った。

 ホーチミン氏は「人間は2つに分けられる、搾取する者とされる者だ。そして人々の繋がりは金銭によってのみ生じる」「独立と自由ほど、尊いものはない」などの言葉を遺した。開放という正義を掲げていたことはわかるが、代理戦争となれば様相も変わってくる。
 開放のための戦争が、いつの間にか共産と資本の戦争に成り代わっていた。勝とうが負けようが、血を流すのはベトナム国民で、搾取されるものから抜け出すことはできない。もはや北も南も、ベトナム国民は正義を失っていた。
 ベトナム戦争は正義と正義がぶつかる戦争ではなかった。この例外の戦争の結果、ベトナムはどうなったのか。私には怠惰や倦怠感が蔓延しているように思えた。

 ハノイのカフェで隣になった、日本語を話せる現地の院生がベトナム国民の働き方について語ってくれた。
「ベトナム人のワークスタイルは自由なんだ。朝に出勤して、すぐカフェに行って時間つぶしてるよ 笑」
 フレキシブルなワークスタイルは、欧米が先駆けとなっていて、今日本でも推し進められている。しかし私が受けた印象は、フレキシブルより怠惰だった。
 市場では各々が出店を持っているが、爆睡していたり、スマホをいじっていたり、虚空を見つめていたり。街中の店でも、客引きの代わりとでも言いたげな目線を通行人に投げかけるばかり。もちろん全員がこうではないが、大体の商売人から気怠さが感じられた。

 試合に勝って、勝負に負けた。戦勝国の華やかさも、敗戦国の必死さもない。正義を失った戦争は、無気力さを残していった気がした。

キューバ・リブレのない夜

 キューバ・リブレの発祥が、主人公の同期によって語られる。

「キューバリブレって、アメリカ軍がハバナに傀儡政権を作ったときに言った"Viva Cuba Libre (キューバの自由に万歳)"っていうのが由来だろ」
 高木に諭されて、キューバリブレを注文しても、店員が受け付けない理由を察する。
引用元:未必のマクベス、p108

 つまるところ、キューバ・リブレを注文できなかった理由は、ベトナム戦争の影響である。キューバが傀儡にされたときの様に、自分たちも傀儡にされた。キューバの自由に万歳なんて謳っておきながら、実際には自由なんて与えなかったアメリカに対する、精一杯の小さな反抗。
 それが、ホーチミン・シティのバーに、キューバ・リブレのない夜を作り出した。

 テーブルには、トランプ大統領と金正恩党委員長の会談を記念したカクテルのポップが置かれていた。歴史は今も、足を止めない。


あとがき

 初めまして、シェスカです。本のレビューのつもりが、旅行記と合わさって、よくわからない文章になってしまいました。レビューには全くなってないけど、作中に出てきたバーに行きたくなるほど良い本だったということで。
 苦手な歴史を一生懸命調べて書きましたが、間違ってること書いてるかもしれないので気づいたことあれば教えてください。その他なんでも、コメントお待ちしてます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?