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子どもの心で世界を見直す

生き方や働き方が多様になる今日この頃、自分の「好き」や「得意」を見つめ直す人も少なくない。当の私もそのひとり。

そんななか考えてみてわかったのは、本当の「好き」は、ぼんやりとしていて、一言では表現し難いものであるということ。

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また何かの書類が届いた。手続きとかお金の計算とか、恥ずかしながら本当に苦手だ。休日なんだから気の向くままに好きなことだけをやりたい。かわいそうなことにうちにやって来た封筒たちはいつも置き去りにされる。

自分にはうまくできないな、と感じて悲しくなることが多々ある。煩雑な手続きやらの管理もその一つ。あらゆることが可能になりすぎた世の中なのだから、自分にできることをできる範囲でやって、あとは機械やできる人に任せればいい、なんて言うけれども、やっぱりたまに悔しかったり悲しかったり。

じゃあ、自分にできることって何なんだ。

色んなしがらみがまだない子どもの頃、自然とやっていたことの中に何かヒントが隠されているのではないか。リカちゃん人形遊びとか、自由帳にパラパラ漫画を描く、とか。そういえば私は、新聞作りが好きな子だった。

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社会科見学や理科の実験発表のときによく「壁新聞をつくってみよう」というまとめ方を求められた。小学生だからもちろん文章もイラストも手書きで(最近の小学生はパソコンで作るのかな)、写真は1枚だけ使って良いよ、とかかわいらしい制限があった。

なんでそんなことが好きだったのかは分からないけれども、授業中の制作時間が終わっても、家に持ち帰って夢中で書いていた。その甲斐あってか、小学校でも中学校でも学年で1番の表彰をされた。そんな賞があったことすら記憶にある人はいないと思うけれども。

作った新聞の一つに、「ボストン茶会事件新聞」がある。世界史の事件を一つ選ぼう、みたいな課題だったのかもしれない。この事件を選択した理由はかなり呆れるものだったので、よく憶えている。

ボストン茶会事件、またの名をボストン・ティーパーティー。アメリカ独立戦争のきっかけともなったこの事件、イギリスからはるばるやって来た紅茶の茶葉たちが、ボストン港で海に放り捨てられた。

アメリカとイギリスの関係を緊迫させる出来事だったのかもしれないが、当時の私の妄想は爆発。茶葉を、海に、捨てた??紅茶の海になったってこと?しかも「ティーパーティー」って。(笑)響きも良いしなんか面白そう。

英名の「ボストン・ティーパーティー」という響きも相まって、ほかの世界史の事件と比べれば血生臭くないこの事件を、「紅茶の海」の妄想をふくらませて当時の私は気に入って取り上げたようだ。

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子どもの頃から、そうやって物事を感覚的に捉えることが多くて、私の頭の中には常に「紅茶の海」「好きな男の子」「かわいいドレス」みたいなものが展開されていた。続けていれば、ささやかな個性か特技になっていたかもしれない。

残念ながら中学校生活半ばで「さすがに恥ずかしいのかも」と自我が芽生え、空想世界の絵やおはなしを描くとか、お人形遊びとか、寝る前フトンの中で別世界へワープしている、とかはやめてしまった。

しかし大人になった今、やっぱりこうしてnoteに文章をつづっている。

郵便で届いた書類から、いつの間にか昔思い描いたティーパーティーを思い出して紅茶を淹れているくらいだから、今も世界を膨らませる変な癖は、健在なのかもしれない。

なんともあれ、「紅茶が毎日手に入る」世界を作り出すなんて私には到底できないことである。私にできることは、紅茶を美味しくいただいて、「紅茶の海」の世界をふくらませて、こうして文章を書くこと。

美味しい紅茶が毎日飲める、この世界に感謝をしつつも私の頭の中は早くも別の世界へワープしている。この瞬間が多分私の「好き」なんだろうけれどもさて、なんて言い表そうか。


読んでいただきありがとうございました😊 素敵な一日になりますように!