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フランス人に倣って「ケチで幸せ」な生活をしてみた

探しものは、すでに自分が持っていた、ということがよく起こる。

新しい服や本を買って、家へ帰る。すると、自分のクローゼットから「あれ、これも着られるじゃん」と忘れかけていたスカートが出てきたり、本棚の奥を見て「そういえば、前も一度同じことで悩んだよな」と思い返されるような本が出てくる。なぜか。

「購入」という行動はそれだけで満足してしまうからだと思う。手っ取り早く満足感を得たくて、「なにか」新しいものを買ってしまう。

「なんだか洋服が足りないなぁ」とか「こんな本を読みたいなぁ」みたいな気持ちは大抵、すでに自分の持っているものをちょっとアレンジするだけで解決できる。実は。

数年前に話題になった「フランス人は10着しか服を持たない」に代表されるように、フランスの人は「既存のものをアレンジする」ことに長けていると思う。ユーモアを込めて言えば「ケチであり、幸せ」。

その文化が街にも表れている。19世紀のフランス絵画を見ると「あれ、ここ知っている」という感覚に陥ることがしばしば。時代に合わせた変化はあるものの、必要以上に新しい建物を建てたりつくり込んだりしないのだ。だから私が抱く感覚は当然で、「知っている」と思った絵画はまさに21世紀の今、私が訪れた場所と同じ場所を描いたものなのだ。

他にもフランスの例を挙げるとキリがなくなるのでここには書かないが、フランス大好きな私は考えたのである。私も「既存のものをアレンジできた」という成功体験が欲しい。そこで、ある場面が想起された。

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帰っても食べるものが何もない、と思ってスーパーかコンビニへ寄って帰宅すると、意外と「なーんだ、家にあるもので間に合ったじゃん」という展開、あの展開を私は幾度となく繰り返した。

そこで、「食べるものないな」と思っても直帰することにした。

まだ、コンビニやスーパーに寄り道しなかったことを後悔した日はない。フランス人のようになのかは疑問であるが、私も「既存のものをアレンジ」の仲間入り。(のはず!)

この実験は、面白い結果となった。

残り物で新メニューを開発するという、新たな趣味が増えたのだ。(この前作った、「バター醤油ミルクうどん アボカド添え」は感動的な美味しさだった、我ながら。)

日頃、いかに「考えないで、直感的に」生活しているか(なんとなく、食べるものなさそうだなー)、いかに「人間は忘れる生き物であるか」(毎日見ているのになぜ冷蔵庫とキャビネットの中身を把握していないのか。)、を思い知った。

そして、ちょっと頭をひねって作る創作料理の味は、何にも考えないでお金を払って買ってくるものより、美味しくて幸せだった。




読んでいただきありがとうございました😊 素敵な一日になりますように!