真面目に勉強しなかったバチが当たった
「なぜ勉強をするのか」という問いの答えを見つけられなかった、子供の頃の自分へ伝えたい。
あなたは、目先の「友達との初めてのショッピング」「プリクラの撮影」にウキウキしているかもしれないし、「少女漫画の世界」に憧れて過ごしているかもしれない。
でも、その「ウキウキ」とか「憧れ」とは比べものにならないくらいの強さで、「やってみたいこと」や「愛したい人」がこの先の人生には登場する。
勉強が必ず全てを救うとは言わないけれども、間違いなく、この世の全てを広げたりつなげたりする素になっているし、なにより「自信」という強さが手に入る。写真写りは自信ゼロだったあなたも、「盛れて撮れる」プリクラはお友達とよく撮ったように、自信は人を動かす。自信がなければ、「やってみたいこと」も「愛したい人」も守ることができないだろう。
あと、「住んでみたい場所」も。
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毎日使うお皿を割った。
一人で暮らしていると、こんな些細なことも、場合により堪える。
そんな「場合による」日だったのか、
お皿一枚ごときで「あぁ、これまで真面目に生きてこなかったバチが当たったのかもしれないな」なんて回想が始まった。
外国の文化が好き、フランスが好き、という割にはそんなに英語やフランス語が上手でない。
読書が好き、といつも本を手にしている割には、特別に語彙が豊富なわけでも文章が上手に書けるわけでもない。
この歳になって、真面目に勉強しなかったツケがまわってきたなぁと最近ヒシヒシと感じる。私が泣きたくなるようなことのうちの半分くらいは、昔きちんと勉強してこなかったツケがまわってきたものなのではないだろうか。
「フランスに住んでみたい」と言いながらすぐに出発の準備を始めない理由は、実はここにあったりする。
今の私がひょいと海を渡ったところで、何もできないのだ。
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中学時代はとにかく勉強が大っ嫌いで、受験勉強なんて二度とごめんだと思い大学付属校を受験した。神様もこの辺でバチを与えてくれればいいものの、そこそこの学校に合格してしまった。合格発表の翌日に、受験で使ったノートを全てゴミに出して、勉強とはおさらばしたくらいだ。(大変お世話になった塾の先生は、ちょっとさみしそうだった。)
そこからは、私の「なんとなく人生」が始まる。これといって勉強したいことも見つからず、高校では部活に打ち込んだ。大学生活の最初はアルバイトに打ち込んだ。そうしてやっと、フランス語に出会うことになる。
フランスという国との出会いによって私の「なんとなく人生」に終止符を打てたと思われたが、慣れ親しんだ「自分」はそう簡単には変えられない。
結局、人当たりの良さと好奇心の旺盛さ、ちょっとの行動力で、語学力と教養のなさをごまかして、ここまで来てしまった。
そうして今も、仕事とやりたいことには全力で突っ走っているけれども、日々のコツコツと積み上げる勉強に関しては、どうしても後回しにしてしまう。
フランスの人と本当の会話をするためには、互いの国の歴史や哲学、文化についての知識、さらにはそれに対する自分の考えが必須だと私は思っている。
学生時代、勉強と真面目に向き合わなかった私にとっては、基礎となる部分も知らないことが多いので、時間が足りなすぎるし、いくら勉強しても満足できずにいる。
だから「今の自分で海を渡っても、後悔するだけ」という呪縛から抜け出せない。最後にフランスに行ったとき、エッフェル塔にこっそり誓ったのだ。
「ちゃんと勉強するまで、もうここへは戻ってこない。」
それは、知識を貯め自分の考えをきちんと持つというのは勿論だけれども、「なんとなく」の自分とはサヨナラする、という意味も込められていたように思う。
「効率」や「結果」も強いけれども、人間が何かをする以上、それらを生み出すにはまず「自信」が必要だ。
真面目に勉強してこなかった私は、自信という名のプレゼントを受け取るにはもう少し時間がかかるのかもしれない。プリクラの機械の中で笑っている自分に、伝えたい。頼むから、勉強してくれ。
読んでいただきありがとうございました😊 素敵な一日になりますように!