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自分の価値観とは何かを知る!違和感を覚えた話で自己分析の巻

こんにちは!今日は違和感を使った自己分析についてお話ししたいと思います。


他の人の違和感 尾石晴さん編

きっかけは尾石晴さんのVoicyで、晴さんが考える『人からされたら失礼なこと』をお話しされていたことです。(昨年5月と少し古い放送ですが、私は眠れない日によく過去の放送を遡って聴いており、発掘できた放送です)

お話の趣旨としては、『自分に相談されたので親身になって答えていたら、後日別の人にも同じことを相談していたとわかり、相談者のことを失礼な人だと感じた』という晴さんご自身の経験談と、なぜ晴さんが失礼に思ったのかを分析しています。

晴さんの分析についてはぜひプレミアム放送を聞いていただきたいのですが、私は同じことをされてもそこまで『失礼な人だ!』とは思わないような気がするのです

私が同じことをされても「失礼だな」と思わないであろう理由

私に誰かが相談してきて私が親身になって答えたけれど、その誰かは別の人にも全く同じ相談をしていた。。こんなことがあっても、私はそこまで相手に負のイメージを持たないだろうと思う理由はいくつかあります。

①『相談』に対しての絶対的な答えなんてないから

そもそも『相談』というのは大半の場合サイエンス系学問と違い、答えのないものです。自分のキャリアとか生き方とか人間関係など、唯一の絶対解があったらみんなそこまで苦労しません。

にも関わらず、相談者自身の『正解』を求めて右往左往している相談者の姿を見ると個人的には『そんなに探しても答えなんかないぞ、自分で探すのじゃ』と仙人のような気持ちになる気がします。

というのも、自分に合うを見つけるには試行錯誤という記事を以前書いたように、自分にしっくりくるものを探し出すにはもちろん周囲のアドバイスもエッセンスにはなりますが、最終的には自分で決めたり、行動したりが決め手になるので、『相談だけしても答えは出ないのだけどな』という一種の達観のような思いが強いです。

私もたまに人様の相談に乗ることはありますが、相手と私の状況は違いますし、私も相手の言い分から相手の状況を100%認識できるわけでもないので、私の回答がそっくりそのまま相手にすべて役に立つことはないだろうな、と思っていつも答えています。

②とはいえ、試行錯誤が大事だと気づく前にもがく時期もあると思うから

偉そうなことを言っていますが、私も最初から上記のようなことを悟っていたわけではなく、今回の晴さんが言うように色々な人へ相談しまくっていた時期はあります。

自分で試行錯誤をしないとダメだ!と周囲に言われてもおそらく本人は気づかなくて、相談しまくっても今一つピンとこない、といった違和感から気づけるかどうかが大きいと思います。ここに気づくには、それまでにもがいていないと(相談しまくっていないと)至れないと思うので、『相談者はきっとそのようなフェーズにいるのだな』と私は解釈すると思います。

私の『相談』へのスタンス

まとめると、相談しまくっているだけじゃダメなのは尾石晴さんと同感ですが、『相談しているだけではダメなんだ』と気づくには相応のプロセスを経ないと気づけないと私は考えているので、自分への相談を他の人にもしていた、という内容には私はそこまでネガティブなイメージは持たないかな、という印象です。

もちろん晴さんはトップパーソナリティとして忙しい日々を送られているので、時間に対する価値観などは私と違うでしょうし、一コンテンツとして消費される嫌悪感も私と違ってお持ちなのだと思います。

そのような前提条件の違いはあれど、仮に私の回答が相手の意向に沿えなくて別の人に同じことを相談していることが判明しても、『相談者は絶対解をきっと探しているんだな』と離れたところで見守りたいのが私の見解です。

ということで、今回は尾石晴さんの放送を題材に、人様の違和感に関する話を自分に照らして考えると、自分はどう思うのか、内省・自己分析出来るなと思ったので書いてみました。

皆さんはいかがですかね。自分への相談内容と全く同じものが他の人にも相談されていたらイラっとしますか?

それではまた!

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