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『チャレンジ』していますか?実父とカスハラから考える、新しいことへ挑戦する大切さ

こんにちは!今日は『何歳になっても新しいことに挑戦する人であり続けたい』そんなお話をします。

新しい事へのチャレンジ〜最近の風潮〜

皆さんは定期的に新しいことへチャレンジしているでしょうか?

木下斉さんのVoicyでも『毎年新しいことには最低3つチャレンジしてる』と木下さんご自身おっしゃってますし、手帳術の界隈でも『チャレンジしたいことリスト』を作って定期的に振り返り、達成したら線で消す習慣がおすすめされていますね。

とはいえ、昨今の風潮には『新しいことにチャレンジするのは良いことだ!何人たりとも挑戦するべきである』と盲目的に従わせるような雰囲気も個人的には感じていて、人によってはそのような風潮に嫌気がさしてる人もいるのでは?、と思います。

新しいことに挑戦することの恩恵って何なのでしょうか。Geminiに聞いてみると次のような答えが返ってきました。

質問:昨今では新しいことへの挑戦が色々な文脈で推奨されているように思います。新しいことに挑戦するのが良いのはどういった理由があるのでしょうか。

はい、新しいことに挑戦することの推奨はよく耳にするようになりましたね。それにはいくつかの理由が考えられます。

* 成長と学び: 新しいことに挑戦することは、新たなスキルや知識を習得する絶好の機会です。これにより自己成長を促し、自己実現に繋がります。

* 自信の向上: 挑戦を乗り越えることで、自信が身につきます。成功体験は自己肯定感を高め、今後の挑戦にも前向きに取り組むことができます。

* 固定観念の打破: 新しい経験は、これまでの価値観や考え方を見直すきっかけを与えてくれます。柔軟な思考を育み、より広い視野を持つことができます。

* 可能性の広がり: 新しいことに挑戦することで、新たな道が開ける可能性があります。新しい趣味、仕事、人間関係など、人生の可能性を広げることができます。

* 充実感: 新しいことに取り組むことは、生活に刺激を与え、より豊かな日々を送ることに繋がります。

生成AI Gemini回答より引用

とりあえずAIからもチャレンジの大切さを教えてもらったわけですが、『よし!じゃあ新しいことにチャレンジするそ!』となるほど私は残念ながら真っ直ぐな人間ではないのです。

好きで興味を持ったことには人の意見を無視してでも猪突猛進型に進めているので、問題ないと言えば無いのですが、先日おっ!と思うことがありました。

実家への帰省のときに見た実父の姿です。

63歳でも新しいことにチャレンジする父

ジブン株式会社のような働き方

私の父は昭和37年早生まれの63歳、団塊世代とバブル世代の間の新人類などど呼ばれていた世代です。

長く勤めていた会社を定年?退職し、今は別の組織で障がい者に園芸や農業などを教えるポジションで働いています。

2、3年ほど前に定年退職してしばらくはのんびりするのかと思いきや、すぐに上記の園芸の仕事を始めたので『よくそんなに早く職場が決まったね』と私が父に言ったところ、どうやらかつて参画していたPTA時代のご縁で、定年退職したらぜひ来てほしいと役員仲間からお誘いをされていたとのこと。

父はずっと生まれ育った田舎都市に住んでいるため、元から知り合いが地元に多いなど都市圏とは違う条件や背景もあるのですが、地域やPTAなどでちょっとしたつながりからジブンの仕事を持ってくるって、まさに木下斉さんの言うジブン株式会社のようだなと我が親ながら驚きました。

新しい園芸や農業にも果敢にチャレンジ

職場ではメンバーの皆さんに教える立場であることもあり、自宅の庭や亡くなった祖父母から引き継いだ畑で何やら色々な作物や植物を育てる練習をしています。

バナナピーマンという黄色いピーマン(味や香りは完全にピーマン)やブルーベリー、不思議なレモンなど、ここ数年で色々育てており、飽きたり放棄せずによく続けているなぁと思います。

そんな彼の果敢なチャレンジの一環で、数年前から庭で葡萄を育て始めました。葡萄畑ではなく庭の一角で育てるので規模的にはこんな感じです。

アマゾンで販売しているブドウ用の棚より

今年は無事に葡萄(巨峰)の実がなりまして、帰省から自宅に戻る私に一房持たせてくれました。

素人が作った葡萄なので、シワになっていたり潰れている箇所も勿論あるのですが、直径3センチくらいはある大きな葡萄です。味も抜群でした!

実家の庭で採れた巨峰

家の庭でこんなに立派な巨峰が採れるんだ!と感激したのはもちろんなのですが、私が元々葡萄が好きと言ってたためなのか、葡萄を私に渡す時の父親の表情が自信と、いい意味でのドヤ感に満ちていたのが印象的です。

娘(私 36歳笑)の好きなものの収穫を目指し、定年後の職場で働きながらも自宅でも葡萄栽培という新しいことにチャレンジする姿勢をとても眩しく思います。

新しいことにチャレンジするというのは、ここまで人を活き活きとさせるのだなと、父の姿で実感しました。

世間と比べてもどうしようもないけれど

父は田舎生まれで、生まれてからずっと田舎で暮らしているため、都内近郊で生まれ育ったり働いている人にとっては『世間知らずの田舎のオッサン』と思われてしまうかもしれません。

父と同世代というと、ニュースでは60代くらいの人が店員さんにカスハラ行為を働く様子がよく報道されています。

人とのコミュニケーションや承認欲求のようなものに飢えてカスハラという形で自己アピールしている60代と比べると、父親のようにジブンの作ったつながりで仕事を得て、家でも新しい作物に挑戦する姿は、カスハラする人々とは相反する存在かなと思います。

カスハラする人間と比べて満足してどうすんだ?、とももちろん考えられるのですが、カスハラのような形で何かの鬱憤を晴らしている人たちには、新しいことへのチャレンジがないために、固定観念を破ったり、充実感を覚えたりする経験(上記でGeminiが回答したもの)を全く実生活で覚えてないのではないかと思います。

父親が新しいことにチャレンジしてる!すごい!私も!という綺麗事だけではなく、チャレンジしていないと思われる層(今回でいうとカスハラ多発の人たち)を反面教師として、やはり新しいことを日々インプットしたり、アウトプットとして自分でもやってみる、そんな姿勢が今後はより大事なのだろうなと思います。

『新しいこと』というと、富士山に登ってみる、とか、行ったことのない国に行ってみる、など、お金も時間も必要なものを想像しがちですが、そこまでいかなくとも普段なら選ばないお店でランチを食べてみるとか、普段はワイン派だけど日本酒を飲んでみるとか、そういったレベルでも個人的には良いと思います(私はワインも日本酒も飲めます!←)。

ということで、実父のチャレンジ談と世間のカスハラを働く人達を比較してのお話しでした!

皆さんの周りには尊敬できる人生の先輩はいるでしょうか。

性別や働く業種、業界は違っても、ロールモデルとして彼ら・彼女らの要素を取り入れて行くと楽しそうですね。

それではまた!


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