毎日継続することの重要性。間隔を開けることの危険性。
先週、フランス語検定を受けた。もちろんそのために、しばらくの期間はフランス語の勉強を(余暇において)最優先に考えていた。そうすると、文章を書くという習慣を危うく忘れかけるところだった。
この感情はどこかで感じたことがある、と思って振り返ってみると、試験を終えて久しぶりにようやく読書をしている時だった。読書から一旦離れると、再び地に足を付けるのに少しウォーミングアップ時間がかかってしまった。
いやいや、もともとこの感情はといえば、フランス語検定を受けるために久しぶりにフランス語の勉強に取り掛かったあの腰の重さに似ているではないか。なるほど、やはり何事も日々継続することが大切なのだ。
(フランス語検定を終えてから今日までの一週間で、夏目漱石『こころ』『坊っちゃん』、太宰治『人間失格』、カフカ『変身』、遠野遥『破局』を読んだ。考えをまとめなければ。)
以上のことから、自分で文章を書くという習慣、日々読書をして思考の材料を取り入れる習慣、新しい思考枠組みを規定する外国語(フランス語)学習の習慣。どれも、毎日継続していかねばならないと痛感した。
おそらく、少しずつでいいのだと思う。完璧じゃなくても、いい思いつきがなくてもいい。とにかく継続することが大事なのだ。その継続こそが、日々の中ですでに実在している当たり前の「もの」や「こと」に対して、独自の切り口で捉える「眼」を涵養することができると信じている。
人間が作り上げたこのシステマチックな世の中で、日々の喧騒に埋もれた「意味」や「価値」を発掘したり、ユニークな見方を持つ「着眼点」を手に入れることは、みんなが思っているより難しい。そして、それはなにより大切なことなんだと思う。
自分には、もう少し孤独が必要な気がした。
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