整理整頓の得意不得意の考察を意識の方向の観点で考察する


整理整頓が不得意な人は、その原因を探ろうと、得意な人になぜなのか原因究明を求めたり、googleで検索をかけたりするかもしれない。自分の場合これをしても解として帰ってくるのは、整理整頓の技術的な問題点がどう、計画性がどう、モノを買いすぎなどどれもしっくりこず、本質的でないように思えたので、しばらく考察してみた。結果的に意識の方向という観点がこの問題を解く解決策ではと思い、ここに独断と偏見で考察の過程を書いてみようとおもいたった。

なぜ、一般論がしっくりこなかったのか

まず、整理整頓の技術的な問題により、得意不得意の差が生まれているという説について反論できる部分として、ここからのは完全に筆者の主観のはなしになるのだが、整理整頓が得意な人と不得意な人の差というのは、例えば陸上競技のいうクラス1位が50m6.2秒で最下位が8.2秒、コンマ数秒の差で優勝がきまるといった差ではなく、徒歩かジェット機かという次元の差があるように感じたからだ。基本的に肉体を使ったスポーツのような技能を競うようなものはあまり差がつかず(能力分布幅が小さく)、頭脳競技、例えば数学や競技プログラミング(これはどういうことかというと、オイラーやガウスなど偉大な数学者を除いて、私たちが現実で見ることのできる範囲でも四則演算ができない人から、現在chatgptも解けないような難問を数学や競技プログラミングで解いてしまう人までいて、これは徒歩vsジェット機に相当し、能力分布幅が極めて大きいと筆者は考える)では莫大な差があるように感じる。つまり、人間は技能的な肉体スペックジャンルでは差はあまりつかず、頭脳的なスペックのジャンルでは差がつきやすいと筆者は考えた。ゆえに、整理整頓は頭脳的スペックの競技であると筆者は感じ、この論はしっくりこなかった。次に計画性の話だ。これは、幾分か納得する部分があるのだが、よく思い出してみると現実世界で整理整頓の得意不得意が計画性の有無にリンクしていると感じたことは一度もないのだ。もちろん、かする部分はあると思うので相関係数は正になると思う。次に物の買いすぎに関してだが、整理整頓のできるものはどんなにものがあっても整頓してしまうし、モノが多くても常に整頓された状態を保つことができるということが整理整頓の得意不得意の条件であるようにも思える。

意識の方向とは?

まず、意識の方向という言葉についてここに定義する。厳密にはというより、意識の方向という言葉はそもそもなく、ただ単にこの言葉を説明のため
に使わせてもらっているだけであるのでここで定義する。まず、人間の知覚機能には内向きのものと外向きのものがあると自分は考えていて、外側の世界を近くする、例えば外の風景を見る、ものの温度を触って確かめる時などは外向きに意識が働いてると言え、風呂場や寝る前の1人反省会、物事の考察などは内向きに意識が働いてると言え、この向きを意識の方向と定義する。

2つのタイプについて

私は人間には2タイプが存在すると考えていて、正確には、スペクトラムでどちらかの傾向があるという問題であるが、デフォルトの状態で意識の方向が内側の人間と、外側の人間がいると考えられる。例えば筆者もそうであるが、デフォルトの意識の向きが内向きの人間は常にぼーっとしているように見え、外の世界に無頓着で、ファッションや流行に興味がなく、なんとなく学者やオタクチックな雰囲気な人が多いように感じる。こっちのタイプは外の世界に対して、ぎこちなく不器用で運動音痴な人も多いように思え、しかし、考えるのは得意で勉強や創作は得意な人が多いように感じる。本体は頭の中で体はアバターというのが一番しっくりくるような気がする。
もう一つのタイプはデフォルトで意識の方向が外向きなタイプで、周りをよく見ていて、何かとセンスが良く、観察がうまいため、てきぱきと上達するイメージとしてはパリピや陽キャのステレオタイプはこっちではないかと思う。言い換えると、どちらの傾向が強いということというより、この問題は解像度の問題とも言え、意識の方向が内向きのタイプは、自分の外側への解像度は低く、内側への解像度は高いといえるのではないかと考えている。ここで注意しておきたいのが、私がここで論じているのはユングの内向性、外向性ではなく、私がここで勝手に定義した、内向き、外向きの二元論であり、関係性がないことを示しておく。偏見だが、日本人は外向きタイプが多いように私は感じている。

本題

結論から入るがどちらのタイプが整理整頓が苦手になりやすいかというと、意識の方向が内向きのタイプである。2タイプの説明で言った解像度の話で説明したように、内向きタイプは外側への解像度が低いと説明できる。これによって何が起こるかというと、外の世界に対して、見逃しや無視が起こると考えられる。どういうことかというと、勿論内向きのタイプは意識のアンテナの多くが、自分の内側を向いているため、結果的に内側を優先し、内側の情報を優先して処理しようと脳が働く、すなわち、内側に対して敏感で外側に対して鈍感になるのだ。人間は脳が自動的に優先順位をつけて次にする行動を決めるといわれている。さらに、人間の行動原理の一つに問題解決というものがある、意識が内向きのタイプは、外の世界の乱雑さが高まり、整理整頓の必要性が出てくる閾値を超えたとしても、外の世界に鈍感であるが故、脳は整理整頓を行い、この乱雑さを解決しようという動機が生じないもしくは、自分の内側の何かに触発された動機に優先順位で負けてしまうのだ。この傾向は、より意識の方向が内向きであるタイプのほうが強いと考えられる。ここで問題なのが、この脳の優先順位ずけに抗うということは極めて難しく、ほぼできないということだ。例えば、ギャンブル中毒などで説明すると、強制的にギャンブルが優先順位のトップに来ている現象がギャンブル中毒だといえると思う。すなわち、私は根本的な対処は薬によるものになると考えている。







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