「女に5000万以上の仕事はできない」と言われた話

想像してみてほしい。

あなたは、地元の企業で働く営業スタッフだとしよう。もうすぐ入社6年目を迎える。時には失敗もあったが、勤務態度に問題はなく、意欲的に仕事に取り組んできた。今日も1日頑張ろう、そんな風に思いながらパソコンを開くと、遠くで嫌な笑いを含みながら喋る上司の声が耳に入ってきた。

「〇〇に5000万円以上の仕事はできねぇよ」

〇〇には、ご自身に当てはまる属性をなんでも入れてみてほしい。性別、セクシャリティ、人種、国籍、容姿・・・



私は、上司に「女に5000万円以上の仕事はできない」と言われた。



正確には言われたわけではない。喫煙室でそのように喋っていたというのを人づてに聞いた。しかしその部署には、私ともう一人しか女性はいない。その上司が言った「女」は、私たちのことを指しているのはほぼ確実だった。

怒りと屈辱感が心の中で噴出した。何故そんなことを言われなければならない。成績はトップではなかったが、劣ってもいない。成績以外にも、販促等である程度成果は出してきた。そもそも、旧態依然として、女性が活躍しづらい仕組みを作ってきたのはお前らだろう。安全圏から偉そうに何を言っているんだこいつは。

だが、その怒りは誰にも話すことができなかった。周りの男性スタッフには信頼できる人がいなかった。喫煙室に出入りするスタッフの中には、その上司に同調しネタにしているような人もいた。もう一人の女性にも話せなかった。一緒にアクションを起こしてくれるタイプには見えなかった(と思い込んでいただけかもしれない)し、何より「でも、本当のことだもんね」と言われるのが怖かった。自分に自信がなかったのだ。

「だったら白黒つけようじゃないか」と思った。

環境のせいで、5000万円以上の仕事ができないのか。

それとも、女である私のせいで、5000万円以上の仕事ができないのか。

そして、成果主義の大手に転職した。

商材が違うので、5000万円級の案件はそもそもなかったのだが、とにもかくにもそこで死に物狂いで働き、数々の賞をいただき、トップセールスになった。

怒りのパワーというのは凄い。怒りの炎は、命の燃焼と引き換えに圧倒的な原動力となり、とてつもない成果を残すことがある。そのパワーのおかげで、私は今後もしばらく社会で効力を発揮してくれるであろう経歴を手に入れた。

ーーーそして、私は自分が何をしたいのかわからなくなった。

軽いバーンアウトだ。在職中はそうと気づかなかったが、退職を決めた。

そして私が今やっていることと言えば、ささやかな復讐だ。

「その経歴を、どこでも活かさない」という。

私は、その経歴が全て自分の実力によるものだとは決して思っていないが、履歴書として提出すればある程度インパクトがある。学歴のようなものだ。良い大学に入っても、どんな学生生活を送るかは人それぞれだが、表面上だけ見れば何となく良い評価をしてしまうというような。

しかしこの復讐は、社会にとってミジンコほどの損失にはなるかもしれないが(一億総活躍社会だし)、例の上司に対する損失にはなっていない。私とあの上司の間には、今や何の関係もない。それなのに何故、このような形で溜飲を下しているのだろう。

その理由の一つは、「今の社会は、あの上司のようなオッサンばかりで構成されている」という認識にあると思う。

私の怒りを燃え上がらせたあの言葉が発せられたのは数年前にさかのぼるが、いまだに社会からセクハラ・パワハラがなくなる気配はない。結局転職先も、自由度の高いな先進的な雰囲気ではあったが、一方でハラスメントも存在した(前よりは全然ましだったが)。

そして、もう一つの理由は企業そのものを信用できなくなった経験のせいだ。

私が就活をしていた時は、氷河期真っただ中だった。数えきれないほどのお祈りメールが届いた。圧迫面接を受けた。基準の不明瞭な面接で落とされまくった。一度涙ながらに「不合格の理由を教えてもらえませんか」と企業に電話したこともある。回答は「教えられません」だった。まあ、今なら当然だと理解できるが、当時の面接官がこの痛みをわかっていたかは疑問だ。なんせバブル時代に新卒入社を果たした人々は、様々な企業から「接待」を受け、その中で一番条件のいい所を入社先に選べたというではないか。

そして数年の後好景気に転じると、「人が採用できない」という悩みを実際に何人もの採用担当者から聞いた。その人たちに恨みはなくとも、そんな社会情勢を私は冷ややかな目で見ていた。「今の苦しみは社会が学生に対して今までしてきた仕打ちだ。どうせまた風向きが変われば、求職者をぞんざいに扱うに決まってる」と。そしてこのコロナ不況だ。内定取消の憂き目に合ったり、今年就活を迎える学生には心が痛む。今思うような結果が出なかったからと言って、ほんの些細なことに過ぎないと伝えたい。またさらに風向きが変われば、私のように転職のチャンスも出てくる。

話が少しそれてしまったが、思うのは私は社会において弱者だったということだ。男社会の中に放り込まれた「女」であり、圧倒的買い手市場の中の「求職者」だった。そして少しでも認められたくて、がむしゃらに努力した。しかし、得られたものはそんなクソみたいな社会に対して一層従順になり、迎合できることを証明するものでしかなかった。

そして、それを大したことじゃない、と言い聞かせてきた。配られたカードで勝負するしかないんだからとか、強者だってそれぞれのつらさ苦しさハンディがあるのだからとか、被害感情は何も生み出さないとか。でもそれすらも、搾取する側がこの社会の構造に気づかないように用意した巧妙なカムフラージュに思える。私はそういった「価値観」を、愚直にも内面化してきたにすぎないと。

こんなことで人生を棒に振る気はないし、必ずしも「今の社会は、あの上司のようなオッサンばかりで構成されている」わけではないと知っているが、疲れている。ハラスメントを平然とやってのけている人、弱者の痛みに気づかなくても自分は安全圏だと胡坐をかいている人は、それ自体が社会の損失につながると気づいた方がいい。私は今後、たとえ微弱な労働力だったとしても、既得権をむさぼる人々が得をするような社会や企業にはそれを差し出さないと決めた。様々な弱者が生きるのを助けたり、休憩所や逃げ場を作るような仕事ならやってもいい。社会がそんな場所だらけになればいいと思う。




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