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橋田きっと先生に向いてるよ ブルーピリオド11巻感想

ブルーピリオドの劇場版を見てきました。

見終わった後テンション上がって原作漫画を読み直して、全部好きだけど、やっぱりブルーピリオド11巻が好きだ……となったので、11巻の感想を書きます。
前フリしたのに劇場版は何の関係もなくなってしまった。すみません。

※全てただの個人の見解です。
※ネタバレ全開です。

美術教室の先生たちとか、いろんな登場人物がいるんですがこの四人の関係が……たまらないよね……というのを図にした。

セリフの流れも好きです。

橋田が「やとら」ってひらがなで呼ぶの、これちょっと弱々しく言ったのかなとか
「先生にも」の「に」に「・」がついてるのなんでかなとかいろいろ考える。

入れ込み過ぎない方が先生に向いてるって言われて先生にも向いてないって言うのは、さえちゃんに入れ込んじゃったことなんだなあってなるとたまらない。

47筆目の合作のシーンのコマが好きすぎるって話もしたい。

11巻の最初の方で、「絵が嫌いな自分を許したい」と言う八虎。

習い事を8つやってる小枝ちゃん。

「なんでもできる」ってクラスメイトに言われている小枝ちゃんは実は八虎に似ている気がするのです。

八虎は言うて大人だから、自分が今ヤバいなって思ったら、絵を嫌いになることを自らに許そう、ってできたけど、まだ幼い小枝ちゃんにはうまくできなかったんだね……。

だから一番問題ありそうな水泳をやめるだけじゃなく全部やめないとどうしようもなかったんだよね……。

小枝ちゃんの望みは「水泳やめたい」「絵は続けたい」と出てくるけど、全部本当だったとは思うんだが、無意識に出てきた「たまにはお友達と遊びたい」が実は一番大きかったんじゃないかな。というか、これも言葉そのままではなくちょっと休みたい、休んだらまた頑張りたい、みたいな。

小枝ちゃんの両親について、おいコラお父さんてめえ!!!っていう場面はいっぱいあるんだけど、お母さんの「挫折も必要」っていう言葉も、全部頑張りたかった小枝ちゃんにはどう響いたんだろうと思うと……。

お母さんの挫折してもいいって言葉も、お父さんの半分こにして分けようって行為も、
善意ではある。

合作を持ちかけて踏み込んだ橋田には、あなたはすごいっていう励ましと共に「絵を嫌いにならないで」「ずっと描き続けて」っていう隠れた願いもたぶんあって、それだって善意の押し付けだと言われたら、本当それはそう。

最後、全部やめて会いに来てくれた小枝ちゃんの瞳に光があって、絵を遠ざけることによってそうなれた姿を目の前にして、橋田は入れ込んで自分の気持ちを押し付けちゃったことを自己嫌悪したのかな……。

橋田は合作の日、「入れ込む」ことまでして「絵を嫌いにならないで」「ずっと描き続けて」って「教えたく」なっちゃって、子どもに対して「どうもする必要もない」ってスタンスだったのに、と考えると本当にたまらなくなってしまう。

でも、でもさあ、押し付けたいわけじゃないけど「こうあってほしい」って祈ってしまうのは、それはもう「先生」じゃん……。

教育目標や生徒像とか、「あるべきかたち」を定めることをどうなんだろって思ってしまう気持ちは個人的にはあるんだけれど、だけどできたら良い影響を与えたい、「どうにかしたい」と思ってしまうのは、押し付けの危険性をはらんでいるし「良い」は誰が決めるんだなどごちゃごちゃとは思いつつも、やっぱり、「先生」だと思うんだよ……!

「自分は向いてない」って自覚している時点でやっぱり、

橋田、きっと先生向いてるよ……!

それが彼を苦しめるかもしれないのも承知の上でそう言いたくなってしまった。

あと、特撮マゲンダーの「子ども向け」の優しさと、大人の描いた鹿原さんの絵と子どもの絵を比べることのグロテクスさもちょっと対として置かれてる気がして好きです。

やっぱりブルーピリオド好きだな〜と再確認しました。
劇場版で感動した人が、原作読んでどんよりしてほしいという歪んだ欲望を持ってしまう。

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