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多重債務者が1級FPになるまでの記録8(最終回)
ファイナンシルプランナーとしての活動
1級FPを取ったその年、私は一般社団法人を立ち上げた。
金融教育を推進する法人である。
社内のマネーセミナーはどんどんと回数が増え、月に3回くらい開催するようになっていた。同時に、社外の関係者も参加できるようにし、社内セミナーという枠を大きく超えていた。
そこで、社内に限らず、地域社会のマネーリテラシーを向上させることを目的として、法人を立ち上げること
多重債務者が1級FPになるまでの記録7
iDeCoを学ぶ平穏な日々を送っている中で、仕事でも転機が訪れた。
それは、2017年の個人型確定拠出年金(iDeCo)の改正である。
この年、iDeCoの加入対象範囲などが拡大され、従業員の手続き管理や制度周知などを仕事で任されることになった。
私は、投資などはしたことがないどころか(FXは触りかけたが・・・)マネーリテラシーはそれまでの人生で欠片も持ち合わせていなかった。多重債務だったの
多重債務者が1級FPになるまでの記録6
突如家にやってきたある人物「ピンポーン」
夜7時頃、アパートに誰かが尋ねてきた。
「こんな時間に誰だろう」
そう思って扉を開けると、若いお兄ちゃんが一人…
彼はこう言った。
「あー!やっとお会いできてよかったです!僕、不動産の営業してる者です!」
なんだ…不動産の飛び込み営業か…
普通の人は、夜に突然訪問してくる不動産の飛び込み営業なぞ、追っ払って終わりなのかもしれない。
しかし、
多重債務者が1級FPになるまでの記録5
借金の返済を考える消費者金融の借入枠を使い切った私は、再度クレジットカードを申し込んだ。
10万円のキャッシング枠で1枚作ることができ(この状況でもまだ作れた事に驚きだった)返済してはまた借りる自転車操業は続いていた。
この時27歳だった。
家族、同僚、友人、彼女…
誰にも打ち明けずに、孤独な戦いだった。しかし、相変わらず手元にお金さえあればパチスロをやっていた。辞めたい辞めたいと思いなが
多重債務者が1級FPになるまでの記録4
社会人生活1年浪人、1年留年の末、24歳で社会人になった。
仕事は積極的にこなした。期待されれば応えたくなる性格のため、残業もたくさんしながら、与えられた仕事に毎日一生懸命に取り組んだ。手取りは18万円くらいであったが、ボーナスがしっかり出る会社だったので、遊ぶお金は十分にあった。
しかも私は実家に住んでいて、収入はほとんど自分で使うことができた。
実家には生活費として毎月4万円を支払うとい
多重債務者が1級FPになるまでの記録3
昼のバイトを始めるほとんど1つの単位を取るためだけに1年間留年することになり、急にヒマになった。
そのため、夜勤バイトを辞めて、昼間のバイトを始めることにした。
選んだのはカラオケでのバイト。
週3~5日で、ほとんどフルタイムでバイトをした。
バイト代は月に15万円程度稼いでいた記憶がある。
カラオケでのバイトは、それまでの夜勤バイト仲間と違い、高校生も多く、若い子と楽しく毎日を過ごして
多重債務者が1級FPになるまでの記録2
パチスロとの出会い夜勤バイトを始めると、最初は朝までバイトして、そのまま学校に行って、という生活をしていたが、次第にしんどくなっていった。
同時に、夜勤バイトには同年代の人も多く、自然と仲良くなり遊ぶようになった。
バイト仲間の多くは、パチスロをやっていた。
当時はいわゆる北斗世代と呼ばれる時代で、初代北斗の拳が大人気の時代であった。
それまで私は、パチスロは一度だけ友人に誘われて千円だけ
多重債務者が1級FPになるまでの記録1
自己紹介
はじめまして。FP_yanaです。まずは簡単に自己紹介から。
■名前 FP_yana (ファイナンシャルプランナー)
■1級ファイナンシャルプランニング技能士
■産業カウンセラー
■男子2人の育児中
経歴
19歳 一浪の末、大学入学。
23歳 留年の末、大学卒業。地元企業に就職。
27歳 主にパチスロ依存で多重債務者になる。
28歳 人生の転機。借金返済を始める。
32歳 借金完済