『ONEPIECE FILM RED』を観てウタの歌に涙腺をやられてしまっている
『ONE PIECE FILM RED』を観た。
先々月に『ONE PIECE』にはまってから早くも二ヶ月が経とうとしている。バタバタして時間が作れなかったものの、超巨大台風が迫りくるなか、ようやく映画館に足を運ぶことができた。帰り道で足元はびちゃびちゃになったが後悔はない。
そして、映画を観たあとに『ウタの歌 ONE PIECE FILM RED』を聴くと、映画の臨場感を改めて味わえつつ、かつちょっと涙腺をやられてしまう自分がいる。今回は、映画後にアルバムを聴き直した感想を、感情と妄想の備忘録も兼ねてゆるっと書きたいと思います。映画のネタバレあり。
ウタの歌 ONE PIECE FILM RED
映画を観て最初に面白いなと思ったのが、ルフィさんが戦いの中でギアを上げて強くなっていくように、ウタちゃんは歌うことでギアを上げていくこと。どんどん狂気じみていくのも興味深かったし、それを稀代のクリエイター達が各々の個性を活かしながら書き下ろしているのがすごい。
アルバムに収録されておりかつ映画内で流れる7曲については、映画鑑賞前に聞くと、ひとつの音楽としてすごく完成されているし、歌詞にも「ONEPIECE感」を感じないものが多い。映画を観てなくても「すごい曲」「面白い曲」という感想で聴けてしまう。現に、Adoが歌う「ウタの歌」がランキングを席巻しているのも、この要素が関係しているのではないかと思う。もちろん映画に付随するところが大きいと思うけれど。
それなのに、映画を観た後だと完全に『ONEPIECE FILM RED』の曲になる。当たり前といえば当たり前なんだけど、それってとてもすごい。
言語化するのが難しいが、曲として多くの人に普遍的に支持されるのに、映画を観ると一気に「物語性」が顔を出して問答無用で圧倒してくる感じ。どういう発注したらこんな曲ができるのか。切実に発注書を見せてほしい。
新時代
映画鑑賞前は「新たな時代を切り拓く」ことをテーマにカリスマみのある曲だなという印象。鑑賞後はウタちゃんの願いを超ド直球で体現した曲。
2番の歌詞では「目をつぶりみんなで逃げようよ 今よりイイモノを見せてあげるよ この歌を歌えば」と、ウタウタの実で成し遂げたい世界にも言及しているのね……。
「夢を見せる」って未来への希望的な意味合いもあるけれど、現実逃避的な意味もあって、映画の中でのウタちゃんもはじめは「希望」として自分の力を使ったけど、それは蓋を開けてみたら「現実から逃げる」ことでもあった。そんな葛藤まで込められているように感じていて、すごいバランスのもとにつくられている1曲ではないかと妄想している。
私は最強
自己肯定感バリバリ高めている曲。私もつらいことがあったときは、カラオケでこの曲を爆音で歌おう。
「私は最強」と歌うことで、自分を肯定して戦闘力が高まっている印象。でも後半では「私の思いはみんなには重い?」「見事なまでに 私は最恐」とウタちゃん自身の中でもまだまだ葛藤があるように感じる。ただ、映画ではカットされていて、そこまで歌われていなかったような……(うろ覚え)。
そしてめっちゃMrs.GREEN APPLE。同じ時期にリリースされた『ダンスホール』も良い曲でずっとリピートしてた。
逆光
怒りで更に自分を正当化している曲。ウタちゃんにとって「眠らないこと」はみんなをウタワールドに閉じ込めるために必要不可欠なので、「眠くはないや」という一節は、明確に自分の世界に連れて行く意志や攻撃性を感じる。
当初は「逆光」というタイトルがよくわからなかったけれど、逆光によって自分の顔には影ができて暗くなり、歌を聴くみんなや敵の顔が照らされてよく見えて、みんなを助けなくちゃという「救い」のような気持ちと、世の中やそれこそシャンクスに感じる「怒り」増幅させているのかなと妄想している(リリックビデオでも光はウタちゃんの後ろから当たっているし)。
また、「怒り」といえば、『ONE PIECE FILM GOLD』の主題歌、GLIM SPANKYの『怒りをくれよ』を思い出させますね……。名曲。
社会人3年目くらいのときに、営業車に乗って『怒りをくれよ』を爆音で歌ってた記憶が蘇る。当時、多分すごく怒りを感じていたんだろうな……。
ウタカタララバイ
映画鑑賞前に聞いて一番衝撃的だった曲。「ララバイ(子守唄)」というタイトルなのに狂気に満ちたこの曲は何なのかと。
映画鑑賞後は、ウタちゃんにとって「歌って眠らせること」が新時代へ導く方法で、それが敵に対しては攻撃手段だから、ということで納得。それでもメロディーの狂気みがすごすぎて人間が歌う曲ではないように思う。だからこそこの場面でのウタちゃんの異様さ・異質さが目立つのだけれども……。歌ってるAdoさん本当にすごい。
一方で、上記のような歌詞にあるように、狂気の中にも切実さがあるから「おかしな曲」「変な曲」で終わらないバランス感……。改めて、どういう発注したらこの曲ができあがるのか。発注書を見せてほしい。
Tot Musica
ところどころにルーン文字が使われている曲。ルーン文字、知っているぞ……?ハーマイオニーがホグワーツの授業で習ってたやつだ(浅はかな知識)。古代ルーン文字の解釈までしていると、いつまでたってもこの記事を書き終わることがなさそうなので、ここでは言及せずにいきます。
Aメロ・Bメロ的なところでは、「願い」「救い」「祈り」「自由」「希望」などの詞が歌われている一方、サビ的な部分では「忘却」「終止符」「破滅」などの言葉が乗せられていて、前者はもともとの『Tot Musica』の歌詞、サビはウタちゃんが綴る内容なのかなと妄想してみたり……。
もしそうだとしたら、はじめは「みんなを救いたい」といって『新時代』を歌っていてウタちゃんが、狂気の果てに破滅を願ってしまうの本当にせつなくてしんどいなと……。
世界のつづき
シャンクスとルフィさんによって、トットムジカを倒すことに成功するも、ウタの歌が世界に届いたことにより、ウタワールドの暴走は止まらない。そこでウタは自分が助かること(薬を飲むこと)を拒否し、自身の歌によって世界を救おうとする。それこそ、この「世界のつづき」を願って――。
つらすぎる。もうここで涙腺ちょっとやばめですね。
『新時代』で「信じたい」と歌っていたウタちゃんが、『世界のつづき』で「信じられる?」と自問をくりかえし、「信じてみる」「信じられる」って言うの本当につらくせつない。これからの世界に対してもだし、海賊であるシャンクスやルフィに対してもそう。特にエレジアを滅ぼし、自分を捨てたと思っていたシャンクスに対して「信じてみる」と言えることがもうね……。もう少し早くわだかまりが解けていたらと思わずにはいられない……。
風のゆくえ
秦基博御大〜〜!!
子供の頃に歌った思い出の曲でありながら、大海原を掛けるシャンクスやルフィたちへの幸せや夢の実現を祈る曲でもある。「私が消え去っても」なんて本当は言わないでほしいよね。本当は一緒に大海原に行きたいよね。
作詞作曲した秦基博御大はすごい。天才の所業。
ビンクスの酒
圧倒的涙腺崩壊ソング。アルバムの最後にこの曲入れるの天才すぎません?『ONEPIECE』は天才たちの手によって作られているのね(それはそう)。
映画では明確に言及されてはいないが、ウタちゃんは全てが終わったあと、二度とこの世で歌うことも海に出られることもなかった。
そんなウタが、アルバムでは『ビンクスの酒』を歌っていることに感極まってしまう。現実ではできなかったことをアルバムで実現できたという事実。
もしウタがトットムジカを召喚してなかったら、みんなとこの歌を奏でながら宴をする現実もあったのではないか。もしかして、「私が消え去って」しまった後も、千の風(by秋川雅史)的な感じでシャンクスやルフィの海賊船を訪れては、こっそり『ビンクスの酒』を歌っているのではないか。
様々な「もしも」や思いが交錯してもう無理なのよ。情緒不安定まっしぐらなのよ。改めて、『ONE PIECE』は天才たちがつくっているのね……。
ウタの歌をAdoさんが歌うことについて
映画鑑賞後、改めて『ONE PIECE FILM RED』の曲が一流アーティストによって、そして映画にとことん寄り添って作られていることを実感するとともに、歌手として圧倒的なカリスマ性をもつウタの歌唱を、Adoさんが歌うべくして歌っているということも、すとんと腑に落ちたように思う。
社会を風刺するような『うっせぇわ』で世の中の知るところとなり、その歌唱力の高さとカリスマ感あふれる歌で多くの人を魅了しているAdoさん。そんな境遇もウタちゃんと似ているし、そして何よりも歌声の魅力がすごい。
当初、キャスティング発表のときは不思議に思っていたこともあるけれど、ウタという圧倒的な歌姫の歌声を誰が再現できるかというと、今の時代を歌い、そして人々に支持されているAdoさん以外に誰がいるんだろうと思う。
そして彼女が歌うことによって、ウタの存在がすごく現実味のあるものになっていることを感じた次第なのである。だって実在する時代の歌姫なのだから。
そんな感想と妄想を抱きつつ、私は今日も『ウタの歌』を聴き、感極まっているのである。
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