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想い出を残す作業はクリエイティブにあふれている

「思い出を残す」ということを、このたび始めることにした。

たが、私は日記などの記録が続いた試しがない。始めるたびに三日坊主がつるつるの頭の撫でながら「どうもどうも」とやってくるので、無碍にするわけにもいかない。

ついお茶を出してもてなしてしまうので、いつの間にか彼らが居座り続けている。だから日記が続かない。嘘である。ただ忍耐力がないだけである。

そんな人間がなぜいきなり「思い出を残す」ことを決心したのか。そして今回こそ、三日坊主を追い返すことができるのか、綴っていきたいと思う。


決心のきっかけは眼科医の言葉

ある晴れた春の日のことである。コンタクトレンズの処方箋をもらうために眼科に行ったら、医師に「あなたの視神経は緑内障になりやすい」と言われた。

「すわ、我が眼(まなこ)の危機」と速攻で検査に行く。老齢の眼科医によると、視神経が圧迫されやすい目の構造、すなわち緑内障になりやすいというだけで、今のところ何の問題もないという。

眼科医は苦笑いしながら、「あなたはまだ若いから大丈夫。10年後にまたおいで。今日は安心を買いにきたということでね。」と私に告げた。診察後、私は自動会計機で970円を支払った。安心って意外と安く買えるんだな、と思った。

しかし、どうにも忘れっぽく出不精な性格なので、10年後に検査に行くというミッションを達成できる気がしない。そう思って、2034年4月に「眼科(緑内障検査)」という予定を入れてみた。

10年後のまっさらなカレンダーに、唐突に「眼科(緑内障検査)」の予定がぽつんと入った。

覚えていないことのさみしさ

そのとき、ふとした好奇心で10年前の4月の予定を確認してみた。カレンダーで10年前のスケジュールを見てみる。社会人になりたての当時、仕事は大変だったが忙しく充実した日々を送っていただろう。

しかし私の期待をよそに「4月11日 07:26移動」という予定だけが、うっすらと入力されているだけだった。記録がない。

謎の予定1件が記された10年前のカレンダー

10年前のことを思い出そうとしても、「仕事が大変だった」「同期と楽しく過ごした」という感想は出てくるが、なんだかぼんやりしている。エピソードや時期があいまいというか、「あんな感じだったな」みたいな。

改めて、ちょっとした危機感を覚えた。もしかしたら未来の私は、日々のことを記憶の彼方に飛ばしてる可能性がおおいにある。

旅行などの非日常感のあるもの、結婚や転職などの一世一代のイベントは忘れることはあまりないだろう。でも、日常の延長線にあるような、毎日一生懸命せっせと生きている日々の生活について、覚えていないのはさみしい。

仕事でちょっと頑張ったこと、何気ないけど楽しい夫との会話、里帰りしてゆっくり過ごした休日、心を揺さぶられた本、気持ちを前向きにしてくれた音楽、そしてガチャ撃沈で意気消沈したあの日。いや、一番最後の記憶はいらないか。

想い出を残すことをはじめたい

というわけで、私は「未来のために想い出を残すこと」をはじめたいと思う。

例えば、毎日のことをに記録してみる。本格的な日記ではなく、日付を自分で記入するタイプのスケジュール帳を購入した。記憶に残しておきたい出来事や感情、英語を学んだ記録などをちまちまと書いてみる。

ちまちまと。この日は残業したことに憤っている。

例えば、ちょっとした瞬間を写真に収めてみる。そういえば、清水の舞台からK点越えの決死大ジャンプをして購入したミラーレス一眼レフが手元にある。

夫のバスケ練習についていった
母とおしゃれなティータイム

例えば、心が動くようなできごとがあれば、できるだけ言語化してまとめてみる。これまで本や映画、ゲームなどの感想を綴ることが多かったが、考えたことや気付いたこと、ときには悲しかったり辛かったりしたことも記録していきたい。誠に遺憾だが、撃沈したガチャのこともね。

想い出を残す作業はクリエイティブにあふれている

さて、心配なのは三日坊主が容赦なく我が家のインターフォンを鳴らしにくることだ。10年後の私から感謝されるように、彼らには容赦なくぶぶ漬けを振る舞い、お帰りいただきたい。

しかし想い出を残す作業はなかなかに大変である。未来の自分に届けるために、その日あったことを再構築する必要があるからだ。

一日の出来事を朝から夜まで順番に書き起こしていけば、そんな必要はない。でも1日あったことを全部羅列するなんて無理だ。ていうか私の手が腱鞘炎でくたばる。

自分が得た想いや感情を振り返って、未来に届ける想い出として組み立てなおす。ぼんやりと浮かんでくる記憶をつかまえて、言語化したり表現したりするのは難しい。現に私はこの文章を書くのに四苦八苦している。

写真でも同じことが言える。たくさん撮影して保存しようとしても、容量には限界がある。良い写真を撮りたいという欲が出てくると、一気に撮影枚数が増える。

カメラで撮影した画と自分の目で見た画はなかなか一致しない。その瞬間を記録したい、切り取るにふさわしいと思った写真を選定して、イメージにあった補正を少しだけ加える。そして、日付とタイトルとともにアルバムに収める。

3日坊主が私のところを頻繁に訪れる理由はここにある気がする。その日あった出来事や思考・感情を再構築して記録を残すこと、すなわち思い出を残す作業はとてもクリエイティブで、カロリーがいる作業だ。だって、自分の過ごす毎日は自分だけしか経験できない。

そんな自分だけの出来事を表現するのは大変な作業だけれども、なんだかワクワクして特別感がある。未来の私のためにひと手間かけて、ちょっとだけクリエイティブな人間になってみたい。

そんな風に考えれば、自信をもって三日坊主の面々たちにも別れを告げられる。さようなら、今まで出会ってきたたくさんの三日坊主。また会う日がないように。

というわけで10年後の私よ、楽しみに待っているがよい。緑内障検査の待合室で、私の気合の入った10年間の記録をご覧あれ。


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