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母が作るお弁当について

みなさま、はじめまして。

初めてnoteに投稿します。日々の思ったこと、言葉が溢れた時に書き留める場所にしたいと思っています。少しでも目を通してくれたそこの貴方様、本当にありがとうございます。

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ふと毎日Twitterを眺めていて、流れてくるお弁当の写真を見ていて思ったのです。毎日家族のためにお弁当をつくっているお母さんはなんて尊い存在なのかと。そしてその所業はもっと褒められていいものなのではないかと。

しかし自分の行動を振り返ると、母からのお弁当をずっと残す3年間だった。食べてたのは出来合いの冷凍ナポリタンだけ。うちの母はとても不器用な人間だった。カレーを失敗してしまうほどに。

小学生の頃、遠足のお弁当でなぜかふきのとうが入っていた。(春先によく庭からふきのとうが採れたからだろう)そしてお弁当を開けた瞬間ふきのとうの独特の匂いがむわっとした。子供にとってふきのとうは苦くてまずい。しかもその匂いとお弁当の具材が混ざり合って、なんとも嗅ぎたくない、全部食べる気など起きない、げんなりした気持ちになった。それ以来、なぜふきのとうなんかをお弁当に入れるんだと憤慨し、母が作るお弁当は大嫌いなものとなった。

そして私は高校生になり、母のお弁当を完食する日は一度もなかった。ご飯がギュウギュウに敷き詰められていて、全く食べる気が起きなかったのである。今考えると、たくさん食べて欲しいという母の愛情表現だったかもしれないが、それは完全に裏目に出ていた。私はギュウギュウに詰められたお弁当のご飯に手をつけることは一度もなかった。

今思うと、私が学校から帰ってくるたびに残っているお弁当の蓋を開ける母の気持ちを考えるととても苦しくなる。私は最後までご飯がギュウギュウにつまってるから食べたくないんだという理由を言わなかったし、母も母で3年間残され続けてもギュウギュウにご飯を詰めることをやめなかったし、お弁当の具材が変化することはなかった。私は少しのナポリタンを食べて、購買のパンを買って過ごしていたのである。

父は高校の数学教師で毎日規則正しい生活をしていた。小さい頃の記憶をたどってみると、毎日父が出勤する時はりんごをまるごと1個持っていくのが思い出される。それがきっとお昼ごはんだったんだろう。とても不器用な母である。りんご1個持たせれば済むのだもの。父もきっとこれが最適解だとわかっていたのだろう。

この気持ちを言語化できるようになったということは、自分が少しだけ大人になったという事になるんだろうか。あんなに酷いことをしてしまった母に私はどんな親孝行がしてあげられるんだろうか。


コロナ禍で劇的に変わったことがある。自炊にめざめたのだ。飲食店に勤めることでずっと料理することから逃げてきた。人のために、ましてや自分のためにすらご飯を作ってあげられなかった。洗い物がめんどくさいと思ったり、食材の管理が出来なくて腐らせてしまい、料理を諦めた20代だった。不器用な母の血を継いでしまったんだと母のせいにして、ずっとずっと逃げてきたのである。

だけどコロナ禍になって、飲食店で働けなくなり、家で過ごすことが増え、外食もしずらくなり、自然と自炊しなければいけない環境に追い込まれた。そして、今まで10年以上飲食店で働いてきた知恵や知識や経験が活きてきたのである。

上京して15年。やっとまともに一人暮らししてる感がある。まだまだ誰かのためにお弁当を作ってあげられる自分にはなっていない。

けれど

毎日自炊頑張ってるよ、お母さん。

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ここまで読んでくれてありがとうございました。


もとかわひろこ



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