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私をミステリー好きにした一冊『放課後』

私はミステリー小説が大好きで、いつも何かを読みながら「犯人は?」「トリックは?」「この人たちの関係は?」とか考えていたいタイプだ。

ミステリー小説のどんなところが私にとって素晴らしいかというと、どこか遠くに私を連れ去ってくれるところ。読んでいると引き込まれ、胸が高鳴り、時には苦しくなり、ラストには納得したり考えさせられたりする。

けれど全てのミステリーが好きなのかというともちろんそうではなく、読み始めて挫折してしまう本もある。自分にとって何が基準で「このミステリーが好き」と考えているのだろうか。

それは最初の一冊が大きな意味を持っている気がする。

私にとってミステリー読書1冊目は東野圭吾の『放課後』だった。

この本を読んだのは、中学2年くらいだったんじゃないかと思う。それまでは児童文学を好んで読んでいて、巌窟王、おちゃめなふたごなどの寄宿学校のシリーズもの、魔女の宅急便などが気に入っていた。無垢な少女を適度に興奮させてくれるような本だ。軽いものから、学校から薦められるものまで。もし世代であったなら、ハリーポッターも好んで読んだだろう。あいにくハリーポッターが出た時はもうミステリーおたくと化した後だった。

中学2年で東野圭吾の放課後を読んでしまったら、あとにはミステリー一色の読書生活が待っていた。まさにパンドラの箱だった。


放課後の舞台は、女子校。校内で殺人事件が起こり、さまざまな容疑者が浮かび上がるが、ラストまでなかなか犯人が読めない。意外な人物。そしてその殺人の動機には「う〜ん、」と唸るほどの妙な納得感があった。少なくとも私には。

この本は何度か読み返しているが、そのたびに小説の中の高校生の気持ちを想像しようと努力しながら読んでいる。

私にとっての高校生活はもっと雑念というか、混沌の中にあった。けれどこの舞台は女子校ということもあり、もっと透明感があって、研ぎ澄まされた感覚の中、主要メンバーの女子たちには譲れない彼女たちのルールがあったと思う。それにアーチェリー部という部活に真摯に取り組んでいて、それがミステリーの重要な鍵にもなっている。

真摯に何かに取り組む若い魂。それは時に純粋で、研ぎ澄まされた刃のような意味を持つのだと思う。

それに、女子校であるということが大きな要素である気がする。

最初にこの本を読んだ時、私は中学生。まだ本格ミステリーは読んだことがなかったので「この本はなんだ」という驚きと興奮で読み終わっても眠れなかったことを覚えている。

何より、「高校生になるとこんなに成熟した考え方になるのか」と理由ははっきりしないが愕然とした気持ちを覚えている。(もちろん実際の高校生の話ではないのだが、当時の私にはもっともリアリティのある理屈の通った話のように感じられた)

この放課後は、東野圭吾のデビュー作だった。本が好きな両親に勧められて読んだのだが、まさに私のミステリー読書生活のデビュー作でもあったわけだ。

中学生のミステリーデビュー作にしては、かなりパンチのある内容だ。

私が大きくなった自分の子供に勧めるとしたら、米澤穂信の『氷菓』とか、東川篤哉の『謎解きはディナーの後で』とかを勧めると思うのだが。

私の母は大阪出身で、「同じ大阪出身」ということもあって東野圭吾を応援・おすすめしていたのだと思う。今でこそ有名な東野圭吾も、当時は新進気鋭の若手作家だったのだ。

放課後を読んだ次の日から、もっと東野圭吾の本を読みたい!ということでたくさんの本を読んだ。(幸いもう家に何冊かあった)放課後で受賞したのが江戸川乱歩賞だったので、江戸川乱歩も読んでみた。江戸川乱歩を読んだら松本清張も読まないと、という流れでどんどんミステリーにハマっていった。

動機が強いミステリー作品。それが私の好きなストーリーだった。「この状況なら、私も殺してしまうのではないか」と思い身震いする感覚がたまらなかった。

ずっと東野圭吾のミステリー作品を読み続けて、『白夜行』が出た時には3日くらいあまり寝ない日が続いた。それでも頭の中にはアドレナリンが出ていたのか、眠いという感覚はあまりなかった。(学生だがもちろん勉強などそっちのけだ)

放課後のような学園ものでは、必ず秀才だったり、頭の回転が早くものすごくクレバーな生徒が登場する。そんなキャラクターにとても惹かれた。私が高校生の時だったと思うが、加賀恭一郎が事件を解決するようになり、やはり心惹かれたことを覚えている。
(刑事役でおなじみの加賀恭一郎も、『卒業』ではクレバーな学生時代)

今40代で放課後を読み返したら、どんな感想を持つのだろうか。あの頃と世代が違っているが、「やっぱりこの本は面白い!」と唸るに違いないと思う。

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