コモンズとしての組織、組織にとってのコモンズな僕

会社は社会の公器である、という考え方について

最近すごく響いた一節があったので筆を取る。
会社は時に「社会の公器」と言われる。
人もの金情報を借りて誰かの課題解決なり新しいスタンスを提示するグループという捉え方をしている。

自分が仕事をして生産した価値を一旦組織なりチームに還元して、組織人もの情報なりに再投資していく。
自分は会社にとってのコモンズ、会社というグループ自体も僕にとって、一人ではできないことを一緒にやっていくためのコモンズ。
ひいては金も、それを使って誰を雇い、何をするか意思決定するためのツールとしてのコモンズ。
そう見てみると面白いなと思った。

あの日の独占欲

まだまだ組織に還元できてるかという観点ではお恥ずかしい限りではあるが、一つ気づきのきっかけとなるエピソードをば。
過去、僕にご指名で外部から仕事が舞い込んだ。
まぁまぁ我ながらよくやったというような仕事をしたけど、あくまで組織として仕事を受けたので、僕個人には特にお金が入ってこなかった。
そん時は「え、俺頑張ったのになぁ…」なんて烏滸がましくも内心思ってしまった。
が、前節の考えに照らし合わせれば会社の肩書きを借りて喋ったに過ぎない。
そこで得た対価としてのお金を個人ではなく組織に一旦プールすることで、継続的、新たなインパクトにつなげていく方が、巡り巡っていい(のかもしれない)と思って今はそこそこ納得がいっている。

所有、独占欲が生まれた瞬間それは循環を失いゆっくりと、でも確実に腐り始めていくよなとつくづく思う。
なんなら自分一人が使う金、金を使ってやりたいこと、金を使うことでやれることなんて高が知れている。
だったら自分という存在を一部組織に差し出し、そしてその時の金をみんなで使えるようにし、より良い状態や社会へのスタンスを示す活動に属してみる。

速く行きたきゃ一人で行け、遠くへ行きたきゃみんなで行けってアフリカの諺にもあるしね。

おまけ話:めっちゃ誕プレするし物々交換楽しんでます

それに関して言えば、クラファンとか他者へのプレゼントには割と惜しまない。
コンビニで自分が適当にチキンとか買って消費して最後はクソになる世界線の500円より、ちょっと疎遠になった友人に500円とかでもちょいとスタバのドリンクチケットを送ったりする方がよっぽど有意義だ。
最近のブームは小高の酒蔵haccobaがリリースする酒を遠方の友人に送りつけ、非金銭的な物々交換を楽しんでいる。

気仙沼の友人からの海の幸セットが大量に届いた!
あと紙の添え書きをもらってじんわり心温まった

これもある種自分の金をコモンズと捉えて、応援だったり投資的な使い方をするという僕なりのスタイルなのだろう。
IよりWEを主語に生きる、それも悪くなかろう。

おまけのおまけ:南相馬の若者仲間がクラウドファンディングをやってます

小高に移住をしてきた同世代の知人が、福島県の高校生を対象にした教育事業の立ち上げに挑戦中のようです。

この記事を見てなるほどと腑に落ちた方は、次世代を作る若者、ひいては子供の未来にベットしてみませんか。
閉塞感ある未来より、よりポテンシャルに溢れた未来を。手段の一つとしてのお金をペイフォワードの精神で投下してみるのも、面白いかもしれません。


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